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德持神社|矢口渡駅周辺の御朱印巡り(その5)

多摩川矢口渡駅周辺の御朱印巡りも最後にしました。基本徒歩で移動するので時間的にも限界であるという理由です。

「久が原 西部八幡宮」だけ参拝できませんでしたが、何事も全部を終えずに今後のために残しておく、というのも一興でございます。

さて、德持神社、境内入口には神明(しんめい)型の大鳥居がそびえます。
手水舎で清めた後に、本殿へのご参拝と続きます。

ご祭神

誉田別之命(十五代応神天皇)

誉田別之命は、八幡様として信仰される神様です。皇室による崇敬篤く、源氏一族をはじめ武人の神様として、また広く地域鎮護の神様として人々の信仰を集めています。
応神天皇は、母・神功皇后とともに大陸の文化を積極的に取り入れ、古代日本の文化向上、発展に尽くされました。そのため文化の神様として広い御神徳を持っておられます。
誉田別之命は、神功皇后の胎内にいらっしゃるころからの御神慮を発揮されたと伝えられ、母子の絆が深いことから、母の慈愛の中、子が健やかに成長されることを願い、人々の参拝が絶えません。(德持神社HP記載

詳細については、以下の投稿記事をご覧ください。

 

 

相殿

宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)

宇迦之御魂命はお稲荷さんとして知られております。「宇迦」は穀物・食物の意味で、また別名である「稲荷」の御名の通り、稲・穀物の神様です。
生命の源である食物であることから農業の神様としてあがめられるだけでなく、米一粒が稲となり、何倍もの実りをもたらすことから、商売繁盛の御神徳があり、諸産業の守護神として、あらゆる職業の人々に信仰されています。
德持神社HP記載

詳細については、以下の投稿記事をご覧ください。

 

ご由緒

当社の創建は、建長年間(1249〜1255)に、豊前(現在の大分県)の宇佐神宮よりご分霊を勧請したと伝えられています。荏原郡池上村大字徳持の住民の守護神として崇敬され、古くは社の管理をしていたのが徳乗院(御旗山真勝寺)であったことから、御旗山八幡宮とも称されました。もともとは、徳持の本村地区(現池上7丁目曹禅寺付近)に鎮座しておりましたが、明治39年(1906)に池上競馬場建設のため、千本松と呼ばれていた現在地(旧大字徳持809番地)に遷座しました。
明治41年5月に再建されると、同年9月15日に上宿地区(現池上図書館付近)に鎮座しておりました稲荷神社を合祀し、八幡神社の社名を德持神社に改称いたしました。
大東亜戦争中、惜しくも社殿が空襲により失われたため、焼失を免れた境内末社を本殿跡に移転し、昭和23年(1948)4月、德持神社奉賛会を設立。24年8月に仮社殿を建設し、29年8月には社務所を建設、同年境内を整備・植樹しました。
昭和34年5月、社殿復興のため德持神社復興会を設立、39年2月起工式、同年8月に上棟祭、40年8月に正遷座祭が斎行され、昭和41年9月3日に竣功奉祝祭を行い、八幡造の社殿が復興されました。
創建から約750年、今も変わらず池上徳持の地に鎮座し、人々の暮らしをお護りいただいております。

德持神社HP記載

 

御朱印

社務所のところでお守りや、御朱印がいただけます。写真の各兼務社の御朱印もこちらで頂戴することになります。

狛犬

向かって右、口を開いた雌の「阿形(あぎょう)」=獅子と、左側の口を閉じた雄の「吽形(うんぎょう)」=狛犬とされていて、この一対を「狛犬」と呼んでいます。
邪気を祓い、神前を守る守護獣です。

「当社の狛犬は左右とも角のない獅子の像になっています。」(德持神社HP記載)とのことです。

德持田中稲荷神社

昭和41年に德持神社社殿とともに再建されました。裏手には、明治の始め頃に植えられた夫婦ケヤキが大地に根を張っています。
社殿手前には稲荷神のお使いである狐の像が控えています。向かって右の狐は神様のご神徳を象徴する宝珠(ほうじゅ)を、左は知恵の象徴である巻物を咥えています。
德持神社HP記載

アクセス

東京都大田区池上3丁目38番17号

御朱印巡りをしたルート

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1
 中華soba いそべ 


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2
 多摩川 諏訪神社 


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3
 東八幡神社


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4
 十寄神社


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5
 氷川神社


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6
 新田神社


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7
 久が原東部八幡神社


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8
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参詣の後にゆっくりと食事を

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