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金閣寺|金色の舎利殿だけでない、絶対に見逃したくない見どころを詳細に解説

2022-10-10

以前の投稿で、金閣寺の金紙を用いた「特別御朱印」のご紹介、金閣寺の概要と歴史、舎利殿を中心とした見どころのご紹介などを以下のように行った。

金閣寺ともなると1本の投稿では語り尽くせないことと、きっと複数名のお読みくださる方々のご興味の範囲が多岐に渡るため、複数に分けてのご紹介となります。

(今後も随時追記、新規投稿を継続します)

金閣寺は、広さが13.2ヘクタール、同じく京都の東寺が 15.8ヘクタール、東京ドームが 4.7ヘクタールなので、金閣寺は東京ドームの2.8倍、東寺は3.7倍の大きさに相当する。

何を言いたいかというと、その割には、東寺を参拝して感じる広さと、金閣寺を参詣して感じる広さは、金閣寺の方が狭く感じられるます。実際の大きさより狭く感じ、拝観所要時間は、金閣寺は空いていれば1時間もかからないですが、東寺は1時間半は余裕で超え、2時間以上は毎回確実に時間を費やしています。

なぜ、そのように感じるのかも今回の投稿のテーマでもあります。

前回投稿の記事。金閣寺概要版(金閣・舎利殿が見れれば十分な方向けに凝縮してお届け)

特別御朱印を授与開始当日の2022年10月3日の午前中に拝受した時の現地のレポートをしています。

金閣寺|「金」の限定御朱印と舎利殿の紹介、拝観料やアクセス等の事前確認事項にお答えします
金閣寺|「金」の限定御朱印と舎利殿の紹介、拝観料やアクセス等の事前確認事項にお答えします

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金閣 鹿苑寺(ろくおんじ)の概要(別記事の再掲)

基本的な情報ですので再掲しました。

山号北山(ほくざん)
宗派臨済宗相国寺派
寺格相国寺境外塔頭 (単独独立寺院ではなく、相国寺の塔頭:大寺院の敷地内にある小寺院や別坊のことを指しますが、金閣寺は銀閣寺とともに相国寺の境内の外にある塔頭です)
本尊聖観世音菩薩像(しょうかんぜおんぼさつぞう)(方丈本尊)(今回の特別御朱印の真ん中の文字は、こちらのご本尊が書かれています。後で詳細を説明します)
創建年応永4年(1397年)
開山夢窓疎石(勧請)
開基足利義満 (室町時代前期の室町幕府第3代征夷大将軍)
正式名北山鹿苑禪寺
別称金閣寺
北山殿
北山第
札所等神仏霊場巡拝の道第93番(京都第13番)
文化財絹本著色足利義満像、木造不動明王立像、大書院障壁画ほか(重要文化財)
庭園(国の特別史跡・特別名勝)
世界遺産
公式サイト臨済宗相国寺派 金閣寺公式Instagram
所要時間順路が決められており、逆走はできませんので、流れ作業のように舎利殿を中心に見学します。混雑している中で舎利殿の写真撮影に待ち時間が必要ですが、1時間から1時間半もあれば見学することが可能です。
開門時間9:00〜 17:00 年中無休です
拝観料一般:400円、小・中学生:300円 (人数による団体割引はありません)

拝観料の減免申請について
障がい者手帳、療育手帳等をお持ちの方は減免対応あり。参拝の当日に手帳の原本を提示、もしくは事前に往復はがきでの申請
学校や施設などの団体でお越しの際は往復はがきでご申請すると受付がスムーズです。

〈往復はがきで申請の場合〉
以下の9点を記載の上、郵送
①申請日、②学校名(施設名)、③学校印(施設印)の押印、④学校(施設)の住所、⑤学校(施設)の電話番号
⑥参拝予定日時、⑦対象の生徒(施設利用者)の人数、⑧減免理由(例:特別支援学級の為等)、⑨引率の人数
※返信の文面は白紙のまま郵送(返信の宛先面は記入)※当日は返送された返信ハガキをご持参ください
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に追記しています

金閣(舎利殿)以外の見どころ

順路としては、総門を越えて、

  • 正面向かって左側の「鐘楼
  • 右側に大きな建物の「庫裏(くり)」
  • 拝観料を支払い、中に入っていくと金閣(舎利殿)鏡湖池(きょうこち)葦原島(あしわらじま)の美しい景色が飛び込んできます。感動の瞬間です
  • 池とは反対側の進行方向に向かって右側に「方丈」、「陸舟の松」(金閣に見とれていて見逃している方々が多数出る場所です)
  • 鏡湖池(きょうこち)の東側を池に沿って道なりに進んでいくと、最初の売店があり、売店の裏山の中にひっそりと「榊雲
  • 銀河泉」「厳下水」「金閣寺垣」と続きます
  • 「龍門滝」を過ぎると奥の方に、「安民沢」「白蛇塚」が奥の方に見えます
  • ここまでゆるい坂道を登って進んでおり、最後に金閣の姿が目線の高さで見える場所があります
  • 「夕佳亭」を見学すると出口になります
  • 御朱印所は、出口を出たところにあり、その隣には「不動堂」があります
  • 門を出て階段を下っていくと元来た参道や駐車場に繋がります
金閣寺境内図

金閣寺は好きなところを勝手に散策できません!!1つの結論になりますが、冒頭の何故か金閣寺は狭く感じる理由の最大の原因で、歩く量が限定的だからです。

順路が決まっていて、例えば鏡湖池(きょうこち:金閣の目の前の池)も西側には入れません。逆戻りできないので、見忘れたと気付いても戻ることは相当勇気がいるので「また次回にしよう」ってなります。

そうならないために、事前に「へぇ〜。こんなものがあるんだ!」ってちょっと覚えていただいてから見ていただきたいと思っています。

私も、帰ってきて1週間経ちませんが、もうまた行きたいと思っているくらいですから。

順路が決まっていて、基本、逆戻りは禁止です。前に進むしかありません。

よって、見逃してはもったいない場所は事前に確認しておくのが吉です。

鐘楼

久々の産経なので確かな記憶ではないが、以前は、この鐘を突くことができたような気がします。100円とか200円もしくは、志程度のお賽銭を入れて。

恐らくはコロナ対策の一環で、中止になっているのだろうと想像します。

鐘楼

庫裏(くり)

一般には、寺院の台所として使われる建造物です。小規模な寺院では、住職のが家族で住む場所をとくに庫裡と読んでいます。金閣寺の場合には、ここは、以前の写真では「写経できます」と書かれているので、写経の場所として使われています。今は、「コロナウィルス感染防止対策のため、当面の間写経をお休みします」と張り紙がされていました。

また、事務所(社務所)になっており、内部は方丈とも廊下で繋がっている作りになっています。

庫裡

唐門

拝観券売り場と、拝観券の確認・持ち物確認の場所としてテントが貼られており、「唐門」は見ることができなかったと思います。

全く、気付いてなかったかもしれません。。。

鏡湖池(きょうこち)、葦原島(あしわらじま)

鏡湖池(きょうこち)の全体図です。図の右端に参詣順路の道が描かれています。鏡湖池の東側からしか鏡湖池を見ることはできないようになっています。

(元の図は、GoogleMapから切り取った鏡湖池の図で、そこに島や石などの配置や名称を追記しています)

鏡湖池(きょうこち)の配置図

金閣の前面に広がる鏡湖池(きょうこち)葦原島(あしわらじま)

金閣・舎利殿

西の衣笠山を借景とした庭園(国の特別史跡特別名勝)の一部を成し、この鏡湖池を中心にした池泉回遊式庭園という形式です。この鏡湖池には、葦原島(あしわらじま)など大小の島々や、 当時の諸大名が威信と幕府の庇護を受けるために、石を献納してその大名家の名が付けられた畠山石、赤松石、細川石などの名石が配されています。

細川石(写真の真ん中、木と木の間に見えている石です)

細川石

現在日本の文化財保護法制の特徴のひとつは、文化財を 2 段階で指定・保護するということです。古文書や仏像、建造物などの有形文化財のうち、重要なものは重要文化財に指定され、そのうち「たぐいない国民の宝たるもの」が国宝に指定されます。記念物には、遺跡のほか名勝地や動物・植物・地質鉱物などが含まれます。そして下表のように、遺跡のうち重要なものが史跡に指定され、そのうち「学術上の価値が特に高く、我が国文化の象徴たるもの」が特別史跡に指定されます。 史跡は現在、全国で 1,795 件あり、そのうちの 62 件が特別史跡に指定されています(平成 29 年11月 1日現在)。(出典:文化庁「日本の特別史跡」

以下の記念物の種類からも分かるように、特別史跡は、62件であり、かつ、特別名勝としても36件しか登録がなく、その両方に登録されている金閣寺は非常に貴重であるということですね。

回遊式庭園は、室町時代における禅宗寺院や江戸時代においては大名により多く造営された形式で、日本庭園の集大成とも位置づけられる。最も一般的な形式は池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)と呼ばれるもので、大きな池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現した。園路の所々には、散策中の休憩所として、また、庭園を眺望する展望所として、茶亭、東屋なども設けられた。 (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

葦原島(あしわらじま)

鏡湖池の真ん中にある一番大きな島のことです。湖面に映る金閣も素敵です。

葦原島(あしわらじま)と聞いて思いつくのは、神社検定でも基礎資料として学習している「日本書紀」や「古事記」に出てくる 「豊葦原瑞穂国」(とよあしはらのみずほのくに)です。

古代神話の中で日本の国土を表現する言葉です。つまり、葦原島(あしわらじま)は、日本国そのものを表現していることがわかります。

そのほかにも、鶴島、亀島などの島々が造園されています。

日本庭園では多くの場合には、亀や鶴を石で表現するお庭が多い感じがします。金閣寺では、それを島で表現しているということでしょう。

古代中国の神話のことで、海の彼方に神仙島があり、そこには不老不死の薬があるという「神仙思想」に基づく造園で、庭園の池泉には、蓬莱島と鶴と亀の島がでつくられるようになり、以後中国ではこの形式が一般的なものとなりました。葦原島(あしわらじま)にも、亀島、鶴島が配されています。

この世界観は飛鳥時代になって仏教の伝来に合わせて日本に入ってきて、その造形を素早く採用したのが蘇我馬子でした。

葦原島(あしわらじま)は、蓬莱島と位置付けられているとみて良いのだろう。

入亀島で羽を休める
入亀島で羽を休める

方丈

仏教では、方丈に全宇宙が内在しているという考え方があります。そこから寺院の住職が生活する建物を特に方丈と呼ぶようになりました。

室町時代中期以降は仏像や祖師像が安置されるようになり、本堂の役割を担う建物となった。

金閣寺の方丈は、延宝6年(1678年)、第108代天皇、後水尾天皇の寄進により再建されました。

ご本尊 「聖(しょう)観世音菩薩」様は、方丈にお祀りされています。(2022年10月3日から授与された金紙の特別御朱印はこの「聖観世音菩薩」が文字書きされています)

方丈
方丈
方丈

陸舟の松(りくしゅうのまつ)

方丈の近くにある陸舟の松です。「京都の三松」の1つと呼ばれているそうです。

京都の三松:「大原の宝泉院」、「善峰寺の遊龍松」、「金閣寺の陸舟の松」写真では他の松も見ましたが、素晴らしい枝ぶりでした

足利義満が愛でていたという盆栽を移して船の形に仕上げたと伝えられています。陸船(おかふね)の松ともいわれ、樹齢は600年超え。室町時代から生えていたとは素晴らしい。

五葉松で、日本固有の松で、平安時代から観賞用として神社仏閣などの庭園に植えられてきた。木質が柔軟で枝を曲げやすいため、盆栽で使われることも多いとのことで、見事に船の形が作られています。

陸舟の松(りくしゅうのまつ)

<参考>五葉松。

<参考>五葉松。最も一般的なクロマツやアカマツは針状の葉が二本一組に、ダイオウショウやテーダマツなど外来のマツは針状の葉が三本一組になっています。一方、ゴヨウマツ(五葉松)は文字の通り、針状の葉が五本一組になるためゴヨウマツと呼ばれています。下に参考の写真を掲載しましたが、これではわかりませんね。。。。すみません。今度、機会があれば五葉松の針状の葉が五本一組になっているところを写真に収めたいと思います。

<参考>五葉松。

榊雲(しんうん)

金閣寺の守護神で、春日明神を御祭神としてお祭りしています。

冒頭の金閣寺さんに掲示されている境内図の中にも名前は表示されていません。順路の中で、金閣を見学した後に最初に出てくる売店の後ろに、小さなお社が絵として描かれています。そこが榊雲(しんうん)です。

理解して気にして歩かないと目に入らない場所にあります

榊雲(しんうん)と金閣寺の関係や金閣寺建立の経緯などは以下の投稿で別記事にしておりますので、ぜひご覧ください。

金閣寺・榊雲(しんうん)|金閣寺の歴史を紐解くカギがひっそりと佇んでいた
金閣寺・榊雲(しんうん)|金閣寺の歴史を紐解くカギがひっそりと佇んでいた

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銀河泉、厳下水金閣寺垣

金閣の後にして、順路を先に進むと、足利義満がお茶の水に使ったと伝えられる「銀河泉(ぎんがせん)」、 手を清めた「巌下水(がんかすい)」があり、 「義満公お手洗いの水」と書かれています。

どこまで当時の状況が再現されているのか分かりませんが、日除、雨よけに屋根がしつらえてあります。

銀河泉(ぎんがせん)
銀河泉(ぎんがせん)
巌下水(がんかすい)
巌下水(がんかすい)

すぐ近くに並ぶようにして見えてくるのは、金閣寺垣。通れないようになっていますが、石段があります。

この小さな石橋を中国の故事、虎渓三笑(儒教・仏教・道教における三人の賢者が話しに夢中のあまり、気がつくと進まないと約束していたところまでそぞろ歩いてきたという故事)にちなみ、虎渓橋(こけいきょう)といいます。

その両側に低い竹垣があり、右と左の組み方が違うのが特徴だそうです。これが金閣寺垣と称され小竹垣の代表とされています。

金閣寺垣
金閣寺垣

龍門の滝(りゅうもんのたき)

金閣寺垣」を更に進むと「龍門の滝(りゅうもんのたき)」があります。滝は2.3メートルもの高さを一段落としにしたもので意外に迫力はあります。

ここは、鯉が滝を登ると龍になると言われる 中国の故事 「登龍門(とうりゅうもん)」にちなみ、「鯉魚石(りぎょせき)」が置かれています。

鯉に見えなくはない、という感じの石ですが、まるで滝を登ろうとしているように見えます。

龍門の滝(りゅうもんのたき)

安民沢(あんみんたく)、白蛇の塚

龍門の滝を過ぎて順路を進むと、順路の左側に池が見えてきます。

安民沢(あんみんたく)」は池の名前で、先ほどご紹介した「龍門の滝(りゅうもんのたき)」が流れ出している沢であり、「鏡湖池(きょうこち)」の池水源にもなっているところです。周囲は深い木々に囲まれて奥の深さを感じます。

ひでりが続いても涸れないので雨乞いの場ともされていました。当日の2022年10月3日は10月の割には、真夏のような日差しでしたので雨乞いしたくなりました。

池中の小島には、白蛇の塚という五輪の石塔(平安時代末期から供養塔、供養墓として多く見られるようになる)があり、西園寺家の鎮守などとも伝え、この池そのものが、上記で説明した西園寺家時代の名残を今にとどめていると言われているそうです。

説明板には、「白蛇は、弁財天の使いなり 弁才天は智慧(慧=恵)弁舌芸能福徳を与える神で 家運を盛んにしてくれます。ここは繁栄を極めた西園寺家の旧跡です 鹿苑禅寺」と記載されていました。

安民沢(あんみんたく)
安民沢(あんみんたく)
白蛇の塚
白蛇塚

夕佳亭(せっかてい)

更に先に進み、振り返ると金閣の最上階あたりくらいから上が見える場所があります。修学旅行のガイドさんが、「見返りの金閣」「ふりかえりの金閣」と説明していました。

ここを最後にして、金閣は見えなくなるので、見納めと思い、最後にじっくりみるように、と生徒さんたちに案内していました。

以前は金閣の前の木々がもっと少なく、今よりもよく見えていたそうです。

金閣の遠景


江戸時代に傾きかけていた金閣や庭を修復したのが 金閣寺の住持になっり、寛永2年(1625年)、万年山相国寺に入り、のちに第九十五世に昇り詰めた 鳳林承章(ほうりんじょうしょう)でした。

後水尾上皇(第108代天皇)の為に、承章が 金森宗和(かなもり しげちか、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、茶人) に造らせたのが「夕佳亭」です。

数奇屋造りの茶席で、夕日に映える金閣が特に佳(ヨ)いということからこの名が付けられました。南天の床柱と萩の違い棚で有名な3帖の茶室です。

夕佳亭は、至近距離から中が見えるようにされており、じっくりとその作りを見学することができます。

この写真では読み取れませんが、解像度の高い写真の原版をよくみると、右奥にある畳と並んだ高さから1段高くなっている部分に、三角の棚があり、「萩の違い棚」と書かれています。

数寄屋造り : 数寄(すき)とは和歌や茶の湯・生け花などの風流を楽しむこと。
つまり「数寄屋」とは「好みにより作った家」のことで、「茶室」を意味します。の風を取り入れた住宅様式のことを数寄屋造りというようになりました。
茶室は室町時代の末期からありましたが、数寄屋造りが生まれたのは安土桃山時代です。数寄屋造りは小規模(四畳半以下)が多かった。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

夕佳亭
夕佳亭
夕佳亭
夕佳亭

「南天の床柱」が特徴の夕佳亭。よく見ると床の間の柱、床柱が曲がっていて真っ直ぐではありません。これが南天です。

床柱の太さをみていただくと、相当な樹齢の南天の木だったことがわかります。ここまで太いことで分かるように、日本最大の南天の柱だそうです。

南天は、「難転(難を転じて福となす)」に通じることから、縁起の良い木として古くから親しまれてきました。

明治初年に焼失した後、明治7年(1874年)に再建されており、直近では平成9年に解体修理が行われています。手入れが行き届いているのでしょう。まだまだ出来て間もない感じの新しい建物のように綺麗でした。

南天
<参考>南天の実

夕佳亭の横に「貴人榻(きじんとう)」はとっ呼ばれる椅子の形をした石が置かれています。身分の高い人が座った椅子という意味です。説明書きには、「室町幕府より移設されました」と書かれていました。

修学旅行生が順番に座って、写真を撮っていました。

不動堂

ご本尊は弘法大師が作られたという石不動明王です。

拝観料を支払う場所の外にある、ということです。御朱印授与所の目の前にあるということも理由の1つですが、参拝は終わって帰るだけ、という気持ちになっているので、半分以上おの方が素通りしてしまわえれていました。節分と8月16日に開扉法要がいとなまれます。

金閣寺の前の西園寺家の別荘時代にも不動堂の名があったといわれています。

不動堂
不動堂

お知らせ

金閣寺は、銀閣寺とともに、相国寺 の塔頭寺院の一つです。

相国寺の2022年秋(9月17日から12月11日)の特別拝観のご案内+重要文化財の「法堂」の天井に描かれている、狩野光信筆の蟠龍頭(ばんりゅうず)の特別御朱印のご案内です。

さぁ!京都、行こう(行けなければ金閣寺を身近に感じよう)

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