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京都、醍醐寺|西国三十三所 第十一番札所。御朱印や【詳細】境内ツアー

普通に私たちが醍醐寺への参拝を想定して話しているのは、「下醍醐」と呼ばれ、さらに山道を徒歩で1時間以上も登って行ったところに「上醍醐」があります。

西国三十三所第十一番札所になっているのは、上醍醐 准胝堂(じゅんていどう)と呼ばれるところです。

2008年8月24日に発生した火災によって、上醍醐への参拝、登山は禁止になり、2009年1月7日から入山は可能になりました。

下醍醐・伽藍内の観音堂に准胝観音を安置し、参拝、納経、朱印を受け付けていました。

令和4年7月1日(金)~9月30日(金)の間、観音堂納経所・売店を閉鎖。この間の納経は全て三宝院納経所で対応です。よって、観音堂参拝はお堂の外からとなります。

醍醐寺の概要

宗派                     :真言宗醍醐派総本山

開山                     :聖宝理源大師

御本尊                 :薬師如来

:西国三十三所第十一番札所本尊は准胝観世音菩薩

創建                     :平安時代初期の貞観16年(874年)

本尊真言             :おん しゃれい それい そんでい そわか

ご詠歌                 :逆縁(ぎゃくえん)ももらさで救う願(がん)なれば 准胝堂はたのもしきかな

納経時間       :

  • 夏期:3月1日〜12月第1日曜日までの期間……………午前9時〜午後5時まで
  • 冬期:12月第1日曜日の翌日〜2月末日までの期間……午前9時〜午後4時30分まで

※閉門時間30分前で受付終了(春期期間中は拝観時間の変更あり)

御朱印とご詠歌

逆縁(ぎゃくえん)ももらさで救う願(がん)なれば 准胝堂はたのもしきかな

仏教を痛烈に非難することが逆に仏教に入門させるように、教えに従わないような人でさえも、もれることなく、お救医になろうとする准胝観音様のお慈悲の心はありがたいものであることだ

西国三十三所第十一番札所本尊は准胝観世音菩薩の御朱印と観音堂
醍醐寺の御本尊、薬師如来御朱印と金堂

醍醐寺の見どころ

世界遺産(世界文化遺産)

世界遺産条約は1972年にユネスコで採択されました。2021年7月現在,194か国が締結しています。

文化遺産及び自然遺産を人類全体のための世界の遺産として損傷,破壊等の脅威から保護し,保存することが重要であると考え,国際的な協力・援助体制の構築に貢献してきました。

各国は,国際的な観点から価値があると考える自国の遺産を推薦し,諮問機関による学術的な審査を経て21か国で構成される世界遺産委員会において価値や保存管理体制が認められれば

登録が決定されます。2021年7月現在,世界遺産は文化遺産897件,自然遺産218件,複合遺産39件を含む1,154件に上り,そのうち日本からは文化遺産20件,自然遺産5件の計25件の世界遺産が登録されています。

醍醐寺は、1994年に、「古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)」として世界文化遺産に登録されました。

世界遺産の一覧などの詳細は、左記「文化庁」リンクからご確認ください。

醍醐寺全体図

醍醐寺の境内案内図です。向かって右端の方角に「醍醐駅」があります。

境内を出たところに醍醐寺駅行きのコミュニティーバスの停車場、京阪バスの「山科駅」方面・「六地蔵駅」方面へのバス停があります。

醍醐寺さんは、今回2度目ですが、前回は醍醐駅から徒歩で15分くらい歩いて醍醐寺さんへ。帰りは醍醐寺駅までのコミュニティーバスを利用しました。

今回の産経は、六地蔵方面から京阪バスできました。

全体像

醍醐寺は大きく4つの領域に分けることができます。最初に着くのは、下図では「赤」で塗られている「三宝院」、「黄」で塗られている「霊宝館」、

仁王門を越えていく「緑」に塗られた「伽藍」、そして、女人堂を境にして登っていく「上醍醐」です。

JR東海が、2年半ぶりの2022年6月25日から「そうだ 京都、行こう。」 CM再開とのニュース。やっと元に戻りつつあるのは嬉しいことでもあり、京都が人で混雑するのは

ちょっと悲しい気持ちも正直ありますが、観光地としてしっかり盛り上がってくれるからこそ伝統文化が維持されているという面はあるので、喜ばしいことです。

開門時間の少し前に到着しましたので、少しでも奥の方、「伽藍」(緑)から散策、参拝を始めました

仁王門

総門をくぐり、左手に三宝院、右手に霊宝館に続く道を観ながら真っ直ぐ正面に見えてくるのは、西大門、豊臣秀頼が慶長10年(1605)に再建しました。

ここに安置されている仁王像(木造金剛力士立像:重要文化財)は、元々は、南大門に祀られていたにあった仁王像で、長承3年(1134)に大仏師勢増、仁僧作、ということが醍醐雑事記などに

よってわかっている。平安後期の仁王像の現存事例が少なく、大変貴重な仁王様です。

金堂(国宝)

慶長3年(1598)2月23日、金堂などの伽藍の移築・修復が開始されました。復興に注力したのは、醍醐寺三宝院門跡の義演准后(ぎえんじゅごう)です。

この大伽藍の中心を占めるのが、金堂(国宝)です。豊臣秀吉の命によって、紀州(和歌山県)の湯浅(醤油で有名な港町です)から海を渡り、淀川とその上流の山科川を経を運ばれてきました。

その義演准后は、天皇・上皇・武家の尊崇を受けましたが、特に豊臣秀吉が度々醍醐寺を訪れて信頼を寄せ、支援しましたが、1598年9月に亡くなり、その子、豊臣秀頼に引き継がれ

慶長5年(1600)5月に工事が完了して130年振りに醍醐寺の金堂が復興しました。

幾度となく修復されてきましたが、主要部は平安末期の様式を完全に残しています。 ご本尊の薬師如来と両脇侍は鎌倉時代の作で、いずれも重要文化財に指定されています。

大きく、点高くそびえ立つような急勾配の入母屋屋根が特徴的で美しさと荘厳さを感じます。ご本尊の薬師如来様をしっかりと参拝したい場所です。

平安時代の天暦5年(951年)建立。

五重塔(国宝)

承平元年(931年)、その前年に亡くなった醍醐天皇の冥福を祈るために第三皇子の代明親王が発願、朱雀天皇、そして村上天皇の御代に、発願から20年後に完成しました。

総高38メートル。うち相輪((そうりん:塔頂の金属製の部分)が12.8メートルで、全体の3割以上を占める。屋根の逓減率が大きく、塔身の高さが低いため、細長い形状には見えない。

京都府下最古の木造建造物であり、京都に残る数少ない平安時代建築として貴重である。

層塔(そうとう)とは、屋根が何層にも重なった構造を備える塔をいい、本義からすれば仏塔に限らないし、実際に仏塔以外の用例も見られるが、基本的には多層構造の仏塔を指す語となっている。多層塔(たそうとう)、多重塔(たじゅうとう)ともいうが、用語としては「多重塔」の使用例が多い。階層は原則的に奇数 (3、5、7、9、13) 。基数においては三重塔と五重塔が代表的である。日本中に仏塔はある。ストゥーパの音写の「卒塔婆(そとば)」もしくは「塔婆(とうば)」を略した「塔(とう)」は、仏教に依って立つ高層建造物を指したわけであるが、それが転じて、細くて高い建造物全般が「塔」と呼ばれるようになっていった。仏塔(ぶっとう)とは、仏舎利(釈迦の遺体・遺骨、またはその代替物)を安置した仏教建築をいう。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

法隆寺 (奈良県生駒郡斑鳩町) の五重塔 : 奈良時代(7世紀末~8世紀初)、31.5m 法隆寺として世界遺産 世界最古の木造五重塔。瑠璃光寺 (山口県山口市、旧香積寺) の五重塔 : 室町時代(1442年(嘉吉2年)五重組上)、31.2m と合わせて「日本三名塔」と呼ばれている。

以下は、五重塔を少し違う角度から見たもので、それを少し伸ばして、とても細かい作業が施されていて、1つ1つの精緻な木組みの美しさを感じてもらえるのではないでしょうか。

全体の3割以上を占める相輪と軒の出方や塔身の横幅のバランス、どれもが絶妙に組み合わされて見る者の心を掴んで離さない佇まいです。

清瀧宮拝殿

清滝宮は真言宗の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海が唐の長安にある青龍寺(せいりゅうじ)の守護神であり、そこから勧請した密教の守護神・清滝権現(せいりゅうごんげん)をお祀りしています。

不動堂・護摩道場

堂内には不動明王を中心として、五体の明王(五大明王)を安置しています。

金堂や五重塔に目を奪われ、観光客の姿がほとんど見られない場所にあることもあって、とても閑静で静寂に包まれた場所でした。

護摩道場では、当山派修験道の柴燈護摩(さいとうごま)が焚かれ、世界平和など様々な祈願を行われている。

柴燈護摩:野外で行う大規模な護摩法要。空海の孫弟子の聖宝理源大師が初めて行った。真言宗の当山派(修験道の一派)修験道の法流を継承する寺院で行われる事が多い。

祖師堂

「金堂」復興に注力した、醍醐寺三宝院門跡の義演准后(ぎえんじゅごう)によって、慶長10年(1605) 9月に建立。

入母屋造(いりもやづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき:軽量で波型の瓦を積んだもの)です。

真言宗の宗祖である弘法大師・空海、 及び、その孫弟子で、醍醐寺開山である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)が祀られています。

宗祖・開山のお2人が祀られていますので、ちょっと分かりにくい場所にありますがお参りに寄りたい場所です。

日月門

1930年(昭和5年)、醍醐天皇一千年御忌を記念して広島出身の実業家、山口玄洞(げんどう)から寄付により建立された。

観音堂

観音堂を中心とする一帯は大伝法院と呼ばれる。1930年(昭和5年)、醍醐天皇一千年御忌を記念して広島出身の実業家、山口玄洞(げんどう)から寄付により建立された。

本尊は丈六の阿弥陀如来坐像である。現在は焼失した上醍醐の准胝堂の西国三十三所札所が仮に移されており、「観音堂」と改称されていて、堂内に納経所がある。

令和4年7月1日(金)~9月30日(金)の間、観音堂納経所・売店を閉鎖。この間の納経は全て三宝院納経所で対応です。よって、観音堂参拝はお堂の外からとなります。

正面から見て、斜め左からの景観。左奥の方から堂内に入る通路がありました。

堂内の廊下を通り、納経所や売店のある堂内へと進んでいきます。桜の季節にはこの廊下いっぱいに御朱印を拝受するための人が大行列をなします。1時間以上待つことになります。

弁天堂・寿庵

初夏のこの時期は青もみじが鮮やかな色彩を放っており、朱塗りの弁天堂が綺麗に浮かび上がります。

紅葉の時期に行くととても綺麗な赤で一面が覆われて、弁天池の水面に赤色が映り込んでとても綺麗だろうと想像できます。

堂内には、音楽などの学芸や知識の女神であるとして広く知られている弁才天(七福神の一つ)が祀られています。

弁天堂から見た「観音堂」です。新緑の中に埋もれて屋根が見えるだけでした。

弁天堂が池に映り込んでいます。

和食と和カフェの「寿庵」です。11時からの営業開始のためまだ開いていませんでした。ここも桜の季節に休憩の人や昼食をとる方々でごった返す場所です。

「下醍醐」の一番奥まで進んできました。ここからは、同じ道を戻って仁王門の方に戻り、「三宝院」に向かうことにします。

仁王門の手前、広く更地というほどには整備されていない草原に出くわします。

平成30年の台風によって木々が倒れたために安全のために整備しているようです。

塔頭寺院もあったようで、早い復興を祈ると共に、数年後に再度訪れた際には景色が変わっていることを楽しみにしています。

現在の「三宝院」の前身の灌頂院(かんじょういん)などがあったとも言われています。

三宝院

永久3年(1115年)、左大臣・源俊房の子で醍醐寺14代座主勝覚が灌頂院(かんじょういん)として開き、後に仏教の三宝にちなんで現在の名に改めた。

当初は、上記記載のように、金堂の西側にあったとも言われており、その後、現在の場所に移されました。

唐門と表書院が国宝に指定されています。

三宝院入り口

拝観受付の隣に、拝観券を販売しています。空いている時期には、拝観受付の場所で拝観券を販売していました。受付を入るとすぐに売店があり、正面に納経所もある大玄関が見えてきます。

桜の季節には大きな枝垂れ桜が拝観者を迎えてくれる煌びやかな場所になります。初夏の時期でしたので、新緑の清々しさが出迎えてくれました。

三宝院の大玄関。ここから奥、一部を除いて追加で拝観料がかかります。

納経所や売店が入ったすぐのところにあります。御朱印は、以下の御朱印が拝受可能です。

三宝院弥勒菩薩大本山三宝院
三宝院御殿特別拝観【通常期】
個人・団体大人・中高生500円

唐門(国宝)

安土桃山時代から江戸時代初期に建立。2010年(平成22年)に解体修理が行われ、往時の壮麗な姿に修復され、現在でも創建時と同様の輝きを放っています。

桃山文化の特徴を表す、豪壮・壮麗な姿を見せてくれます。以下の写真は、三宝院内の三宝院庭園側(内側)から見た姿です。

平唐門、檜皮葺です。

唐門:平安時代後期に見られるようになり、桃山時代に全盛。開口正面に向かって左右に唐破風のあるものを平唐門(ひらからもん)、前後にあるものを向唐門(むこうからもん)。

勅使門ですので、普段は空いていません。

勅使門:勅使が参向する時に勅使の通行に使われる門のこと。勅使:勅旨を伝えるために天皇が派遣する使者のこと。

門の詳細を見やすいように少し拡大して表示しています

表書院(国宝)

安土桃山時代の1598年(慶長3年)に関白・豊臣秀吉が行った「醍醐の花見」の際、奈良から移された能の楽屋が起源。

表書院は桃山時代の寝殿造の様式を伝える建物と言われています。表書院は上段の間・中段の間・下段の間があり、縁側に勾欄(こうらん:廊下などで人が落ちたりしないようにするために設置する柵のようなもの。手すり。)が巡らせられ、西南隅に泉殿(いずみどの:泉を邸内に取り入れてつくられた)が増設されています。下段の間は畳を揚げると能舞台になります。

三宝院庭園

豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭です。

公開エリアが設定されており、表書院への拝観をしなくとも、一定の角度と範囲から庭園を鑑賞することはできます。

霊宝館

貴重な寺宝の保存と公開を兼ねた施設として昭和5年(1930年)の醍醐天皇千百年御遠忌に計画され、昭和10年(1935年)に開館。昭和54年(1979年)に新収蔵庫3棟を新築。

平成13年(2001年)には上醍醐薬師堂の本尊である国宝・薬師三尊像を中央に安置する大展示室を増築

国宝や重文だけで7万5千点以上、未指定の文化財を含めると、約10万点以上に及ぶ寺宝を収蔵。春と秋に特別展を開催しています。

京都で適切な価格で宿泊するなら、私も何度も泊まっているお勧めのホテルを以下の記事で紹介しています。

 

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アクセス

京都市伏見区醍醐東大路町22

*JR京都駅から、JR東海道本線(琵琶湖線)または湖西線約5分で山科駅。京都市営地下鉄東西線に乗り換え、約10分の「醍醐駅」で下車。

*JR奈良線・六地蔵駅、京阪六地蔵駅で地下鉄東西線に乗り換え、約5分の「醍醐駅」で下車。

*バス停「醍醐寺」下車

  • ●京都駅八条口からホテル京阪前(京都醍醐寺ライン乗り場)所要時間:約30分

*バス停「醍醐寺前」下車

  • ●JR山科駅から1番乗り場(22,22A系統乗車)所要時間:約20分

バス停「醍醐寺前」下車

  • ●京阪六地蔵駅から2番乗り場(22,22A系統乗車)所要時間:約15分※JR六地蔵駅からの場合は、「JR六地蔵」バス停から乗車(22,22A系統)

●地下鉄東西線「醍醐駅」下車 ②番出口より徒歩約10分
●京阪バス22・22A系統「醍醐寺前」下車
●京阪バス京都醍醐寺ライン「醍醐寺」下車

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