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太宰府天満宮|学問の神様に学業向上と合格祈願

太宰府天満宮は、菅原道真(すがわらのみちざね)公の御墓所(ごぼしょ)の上にご社殿を造営し、その御神霊(おみたま)を永久にお祀りしている神社です。 「学問・至誠(しせい)・厄除けの神様」として、日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、年間に約1000万人の参拝者が訪れています。

 

御祭神

道真公は、幼少の頃より学問の才能を発揮され、わずか5歳で和歌を詠まれるなど、神童と称された。

道真公は、さらに勉学に励み、学者としての最高位であった 文章博士(もんじょうはかせ)となり、栄進を続けられました。
学問だけでなく、弓にて百発百中の腕前を披露されるなど、文武両面に傑出した人物として、その名を馳せていました。

貞観4年(862年)

18歳で文章生となる

貞観16年(874年)

従五位下に叙爵し、兵部少輔ついで民部少輔に任ぜられた

元慶元年(877年)

式部少輔次いで世職である文章博士を兼任

元慶4年(880年)

父・是善の没後は、祖父・菅原清公以来の私塾である菅家廊下を主宰、朝廷における文人社会の中心的な存在となった

注記

文章生(もんじょうしょう):古代・中世の日本の大学寮で紀伝道を専攻した学生

大学寮(だいがくりょう):律令制のもとで作られた式部省(現在の人事院に相当する)直轄下の官僚育成機関

紀伝道(きでんどう):大学寮において、歴史(主に中国史)を教えた学科。後に漢文学の学科である文章道(もんじょうどう)と統合して歴史・漢文学の両方を教える学科

少輔(しょう)律令制で、諸省の次官 (すけ) で、大輔 (たいふ) の下に位するもの。しょうゆう。すないすけ。

世職(せいしょく):先祖から代々受け継いできた職業や官職

菅家廊下(かんけろうか):平安時代前期に清公・是善・道真と3代にわたって文章博士を輩出した菅原氏の私塾のこと。元来は菅原氏当主の書斎であった山陰亭で講義が行われていたが、生徒の増大につれて廊下(寝殿造の中門廊)で講義が行われたことから、菅家廊下と呼ばれて後世に知られた。

仁和2年(886年)

讃岐守(讃岐国司)を拝任、式部少輔兼文章博士を辞した

道真公はこの任が「左遷である」と言われていることが残念であると述べており、度々悲しみの意を表している

疲弊していた讃岐国を建てなおすなど善政を行い、住民に大変慕われました

寛平3年(891年)2月29日、

道真は蔵人頭に補任された

蔵人頭は天皇近臣中の近臣ともいえる職。厚い信任を受けていた橘広相が病没し、宇多天皇は代わる側近として道真を抜擢した人事であった

その実績が宇多天皇に認められ京都に戻り、厚い信任を受け、ますます政治の中心で活躍されました

寛平6年(894)

唐の国情不安と衰退を理由に遣唐使停止を建議され、後の国風文化の開花に大きな影響を与えました

昌泰2年(899年)

右大臣に昇進して、藤原時平と道真が左右大臣として肩を並べた。

道真は家が儒家であり家格が低いことと、出世につけて中傷が増えたため辞退したいと上申するも却下

昌泰4年(901年)

宇多上皇を欺き惑わした」「醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀った」として、1月25日に大宰員外帥に左遷された。

長男の高視を初め、子供4人が流刑に処された(昌泰の変)。

注記

大宰府の長官は大宰員外帥(だざいいんがいのそち):主に親王に与えられる名誉職で、大宰府の実質的なトップは大宰権帥で 当時の海外への門戸であった九州の軍事を総覧した たいへんな重職。道真公は、実務に関わることもできない立場

延喜3年(903年)2月25日

大宰府浄妙院

(榎社(えのきしゃ、別名:榎寺)は、太宰府天満宮境内飛地にある神社。太宰府からは少し離れているので計画していかないと公共交通機関ではなかなか簡単には行けません。

いつか行ける日を楽しみにしています。)で謹慎していたが、左遷から2年後のこの年に薨去(こうきょ)し、安楽寺に葬られた。

享年59。刑死ではないが、衣食住もままならず窮死に追い込まれたわけであり、緩慢な死罪に等しい

 

 

 

 

御由緒

道真公は、承和12年(845)に京都でお生まれました。

幼少期より学問の才能を発揮され、努力を重ねられることで、一流の学者・政治家・文人としてご活躍なさいました。

しかし、無実ながら政略により京都から大宰府に流され、延喜3年(903)2月25日、道真公はお住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において、ご生涯を終えられました。

門弟であった味酒安行(うまさけ やすゆき)が御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることとなりました。

延喜5年(905)、御墓所の上に祀廟(しびょう)が創建され、延喜19年(919)には勅命により立派なご社殿が建立されました。

その後、道真公の無実が証明され、「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神様の御位を贈られ、「天神さま」と崇められるようになりました。

長い年月、道真公へのご崇敬は絶え間なく続き、御墓所でもある太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられ、今日でも多くの参拝者が訪れています。

太宰府天満宮ホームページより)

 

 

ご利益

学問・至誠・厄除けの神様

御朱印

 

御朱印帳

梅の花が全体にあしらわれていて、購入している方が多かったです。

最初の2ページは開けて御朱印を押してくれます。「伊勢神宮」外宮・内宮ようの場所だそうです。

なかなか伊勢神宮参拝できませんでしたが、行ったときには、こちらにも御朱印を拝受しまして、満願になりました。

 

御朱印、お守り授与所

「天開稲荷社」の御朱印もココ太宰府天満宮の御朱印所で拝受します。

 

見どころ

参道

店の数も賑わいもさすが太宰府天満宮さんの参道、という感じです。

特にインスタなどで有名になったのは、「スターバックスコーヒー」の店舗ですね。H30年にはもうありました。店舗は混んでいるし、店前は写真を撮る人で賑わっていて大混雑でした。

 

また、太宰府天満宮と言えば、梅が枝餅。参拝みやげにお餅はいろんなところにありますが、

「かさの屋」さんの「梅が枝餅」ですね。関東でもデパートの催事場などで見かけることも多いですが、参道で食べ歩きが一番の贅沢でしょう。

 

御神牛

境内に多数奉納されている銅牛や石牛の像の頭をなでると知恵を授かることができるという信仰があります。(どこの天神さんでも同様です)特に、参道から案内所を超えた場所に鎮座するこちらの銅牛には多くの方々がご利益を求めて頭をなでています。

(現在のコロナ禍でなでることが禁止されている神社さんがほとんどです。この写真当時はコロナなど存在も知らないときでしたので問題ありませんでしたが。。。。)

 

石鳥居

花崗岩製の明神型鳥居。笠木の反りはゆるやかで柱高よりも柱間が広く造られています。

今からおよそ700年前、南北朝時代に建立され、九州で最古の鳥居と云われています。

 

志賀社

国指定重要文化財。

御祭神は、海神、綿津見三柱神(住吉三神)で、海上安全の守護神。社殿は1458年再建で、入母屋造で正面に千鳥破風を付け、和・禅宗・大仏の3様式で構成される。

美術工芸品ともいえる精巧な建造物で、端正で美しいお社です。

見逃すのはもったいないです。

 

太鼓橋・心字池

太鼓橋→平橋→太鼓橋の順に並んでいます。これは、過去・現在・未来を表現しているそうです。

神社さんによっては、安全性の問題から渡れない太鼓橋もありますが、こちらは渡っていけます。

 

楼門

御本殿側と太鼓橋側で形状が異なる珍しい楼門、とのこと。私の中ではいろんなところで同じように異なる形状になっていると思っていたので、本殿側からの写真がありません。

次回参拝時にはどこが違うのかを明確にしてこようと思います。

 

 

飛梅

天神さんではおなじみの飛梅です。

「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」(大鏡)

高校古典を習っていれば普通に現代語文章に訳せますね。ここでは、ホームページ記載の訳文を

そのまま記載しておきます。

 

「春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。

主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。」

 

御本殿

道真公の墓所の上に御本殿が建てられているので拝殿はありません。

 

 

アクセス

住所 : 福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号

太宰府天満宮の最寄り駅は
西鉄電車の太宰府駅です。

西鉄太宰府駅から太宰府天満宮へは
徒歩5分程度です。

地図

 

参詣の後にゆっくりと食事を

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