蒲田八幡神社とは
創祀は不詳ですが、境内に小円墳があったこと、また、言い伝えや伝説、史実などから、相当古くから聖地として村人の信仰の場であったようです。地元の方々に愛され守られているcとはどのような神社でしょうか。
参拝してから御朱印を拝受する、という基本ルールに従って、兼務社から巡りました。蒲田八幡神社は最後に参拝でした。
ちょっと歩く量が多いですが、のんびりと散歩気分で試してみてはいかがでしょうか?
ご祭神
御祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)<=応神天皇>
H30の工事当時の写真
令和3年の工事後の整備された境内
御社殿もまだまだできたて感があるくらいにきれいでした。
かなうお願い(ご利益)は何?
「武運、勝運、殖産興業(商売繁盛)、学問、母子(安産子育、厄除開運)」との記載があります
ただ、八幡様ですので、勝負に対する開運(武運・勝運)は大きいですね。また、応神天皇と母親の神功皇后(じんぐうこうごう)様との関係から生まれる開運は特記すべきでしょうね。
母子(安産子育、厄除開運)になります。神功皇后が御祭神にはなっていませんので応神天皇としての「母子」の御神徳があるということだと思います。
ご由緒
この地は多摩川の河口に当たり、水の便が良く、交通の要衝にして物資の集散地ともなり、
都からの文化の伝播はもっとも早く、関東における文化の先進地でありました。
したがって、縄文式文化時代の原始信仰と共に形づくられた斎場が時代とともに推移して今日の姿になったものと思われます。
こいう形状の土地だった場所には人が集まり、斎場から現代に進んできたケースで各地にある由緒です。
しかし、やはりこの歴史の重さは非常に厳格な気持ちになり参拝するとその威厳に圧倒されそうになることがあります。
昭和二十年四月十五日、戦災により社殿は灰燼に帰しましたが、たちまち再建気運が勃興しました。
戦後復興していく蒲田の中心にあったため、昭和二十四年八月、新宿八幡神社を改め【蒲田八幡神社】と称えるようになりました。
戦火によって被害を受けるケースも多々あり、氏子の方々の崇敬と多くの方々の奉賛によって社殿は竣工し、昭和三十三年八月八日、御社殿復興遷宮祭を執行しました。
それから六十年の年月が過ぎ、御社殿の改修工事を行い現在の壮麗な社殿へと新築され、八月三日から八月五日にかけて平成三十年御社殿復興六十周年記念例大祭が斎行されました。
私が参拝したのは、御社殿の改修工事の最後のタイミングの6月だったようです。
先日、新しくなった御社殿への参拝に数年ぶりに行きました。素晴らしく立派な御本殿になっていました。社務所も立派になっていました。
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御朱印
蒲田八幡神社の御朱印は、御朱印帳への書き入れと紙対応の両方が可能です。初穂料500円
兼務社については、全てが書き置きの紙対応になります。初穂料300円。
兼務社に神職さんはいませんので、兼務社の御朱印は、全て蒲田八幡神社での対応になります。
御朱印の受付時間は、10:00~15:00
見落としてはいけない必須の開運パワースポット(兼務社5社)
参拝順序
京急蒲田駅をスタート地点にしましたので、北野神社から巡り、同じような道を回りますが、最後に蒲田八幡宮ですべての兼務社の御朱印をいただくことになります。
北野神社
椿神社(つばきじんじゃ)
薭田神社(ひえだじんじゃ)
御園神社(みそのじんじゃ)
女塚神社(おなづかじんじゃ)
蒲田八幡神社
JR蒲田駅をスタート地点とした場合には、以下の順序で巡るのが効率が良いと思います。
御園神社(みそのじんじゃ)
女塚神社(おなづかじんじゃ)
薭田神社(ひえだじんじゃ)
椿神社(つばきじんじゃ)
北野神社
蒲田八幡神社
各兼務社について
・北野神社(きたのじんじゃ)
・御祭神
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
建御名方命(たけみなかたのみこと)
・由緒
寛文元年(1661年)に地元の方の邸宅に諏訪神社を奉斎。まだまだ整備などされていない呑川(のみかわ)の洪水により、池上の麓の天神山の森から、矢口村に祀られる天神様の御神体は度々流されていました。
明治年中、諏訪神社と合祀して北野神社と総称。昔は呑川の北側にありましたが、改修工事によって現在の様に南側となりました。
御朱印
東京都大田区南蒲田1-6-5
・椿神社(つばきじんじゃ)
・御祭神
猿田彦命(さるたひこのみこと)
詳細は以下の記事をご覧ください。
・由緒
創祀は不祥。古くより土地の人の信仰の厚い神社。
猿田彦命は道案内の神であり、道陸神と言われ、道祖神(塞の神・障の神)と習合して村の境を守る関の神となり、更に咳の神と信仰されるようになったものと思われます。
風邪・百日咳・喘息(ぜんそく)になり、咳が出るとき、額堂に掛かっている麻をいただいてき首に巻くと治ると言い伝えられています。
御朱印
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住所 : 東京都大田区蒲田2-20-11
・薭田神社(ひえだじんじゃ)
・御祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)
詳細は以下の記事をご参照ください。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)
*別説明のページある
荒木田襲津彦命(あらきだそつひこのみこと)
春日大神(かすがのおおかみ)
・由緒
延喜式内社の「薭田神社」として、貞観6年(864年)と「三代実録」に「貞観六年八月十四日戌辰、詔して武蔵国従五位下蒲田神を以て官社に列す」と記載されている。
蒲田(ほたい)神社に比定されるとのこと。
和銅2年(709年)、僧行基が天照・八幡・春日の三体神を造り、本社に安置しました。その後、弘安5年(1282年)に日蓮が村民の要請で開眼されたといいます。
以下のHPの文章は意味が分からないのですが、神戸の生田神社も一帯が社領であった所から、神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)があの地域の呼称となり中世には紺戸(こんべ)、近年に神戸(こうべ)と呼ばれるようになった、とありますからそういう流れで神戸と記載されているのかと想像しています。
「当社の社前の地が古くから「神戸」と呼ばれており、また近くには神戸橋という橋もあり、この地名はのちに八幡社が勧請されてからの地名とは思われないので、当社が薭田神社であろうと考えた別当榮林寺の僧が、神祇管領の吉田家に当社を薭田神社とする旨の申請をし、その許可を得ました。」神社HP
御朱印
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住所 : 東京都大田区蒲田3-2-10
・御園神社(みそのじんじゃ)
・御祭神
猿田彦命(さるたひこのみこと)
天宇受売命(あめのうずめのみこと)
アマテラスが天岩戸の中に隠れたときにアマテラスを外に誘い出そうとして洞窟の前で踊りを披露した女神さま。
・由緒
創建年代は不祥。昔多摩川の洪水によって流れ着いた猿田彦命を祀って、村民の信仰厚き崇敬神社であったと云われています。
蒲田駅西口の大通りに面して交通の便に恵まれた所に位置しているため、社務所を利用する人が多く、色々な会が神社を中心に活動してます。伝統芸能として、神社ゆかりの猿田彦の舞が伝えられており、青年部を中心にお囃子とともに例大祭神幸神輿渡御の先導をするなどして、祭典に奉仕しています。
氏神様としての歴史は短いですが、民間信仰として導きの神としての由緒には深いものがあります。(神社ホームページより)
御朱印
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東京都大田区西蒲田7-40-8
・女塚神社(おなづかじんじゃ)
・御祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)
・由緒
以前jは八幡社と呼ばれていた。明治5年、京浜間に鉄道が敷設されるため、明治21年現在地に遷座され、女塚神社と改称されました。
御朱印
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東京都大田区西蒲田6-22-1
蒲田八幡神社の住所や公共交通機関でのアクセス
住 所 東京都大田区蒲田4丁目18‐18
電 話 03-3731-5216
交通通機関 京急蒲田駅西口より徒歩2分
JR蒲田駅より徒歩15分
ホームページ https://www.kamatahachiman.org/
地図