東京 江東区

富岡八幡宮|江戸最大の八幡さま、深川八幡祭り、大相撲の発祥

御祭神

主祭神

応神天皇(八幡神)

八幡神、八幡信仰については、以下をご覧ください。

稲荷社に次いで全国2番目に広がる、八幡信仰と応神天皇

 

相殿神

神功皇后

仁徳天皇

天照皇大神

常磐社神

武内宿祢命

日本武尊

天児屋根命

竈大神

御由緒

寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に菅原道真の末裔といわれる長盛法印の御神託により創建されました。

夢でお告げを受け、道真が彫ったとされる八幡の神像を江戸に安置するため京都から関東へ下った。

寛永元年(1624)のことである。江戸をくまなく探して見つけた祠は、まだ人のいない深川のあたり、永代島(「永代橋」がかかっているが、

これは当時中洲だった永代島(現在の江東区富岡。ここには既に永代寺が創建されている)にちなむ。

江戸幕府が末永く代々続くようにという後から附けられた慶賀名という俗説もある。)の一角だった。

長盛法印は広大な湿地をみずからの手で埋め立てた。

3年後の寛永四年、周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて6万508坪の社有地を得たのです。

社殿建築もおわり、深川に町の基礎ができた。

これが富岡八幡宮である。

漁師の村も、明暦火事のあと開発が一気にすすみ、木場や問屋の集中する有力な町に成長した。

経済力で日本橋に迫る江戸第二の賑わいとなった「深川」を背景にして、富岡八幡宮の本祭りも豪勢な神輿が出る大きなイベントとなった。

世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。

江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神をことのほか、尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社(注1)に御治定になり、

勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。

 

(注1 准勅祭社)

明治元年(1868)11月8日、明治政府は東京近郊12の神社を明治天皇陛下がいる皇居を守護する「准勅祭社(じゅんちょくさいしゃ)」に定めました。

准勅祭社12社とは、日枝神社、根津神社、芝大神宮、神田神社、白山神社、亀戸天神社、品川神社、富岡八幡宮、王子神社、赤坂氷川神社、大国魂神社、鷲宮神社です。

その後、明治3年(1870)9月1日に社格が変更され、それぞれの神社が東京府社や郷社とされました。

富岡八幡宮は、「東京府社」とされました。

戦後、昭和50年(1975)、昭和天皇陛下の御即位50年を奉祝して、国家の隆昌と家運の繁栄を祈るため、

東京都内10社を巡る「東京十社巡り」が企画されました。

 

ご利益

勝負運、金運上昇、縁結び

 

 

人形

日頃家族同様に過ごしてきたお人形、ぬいぐるみ等を捨てるのは忍びない、感謝の気持ちを表したい。

そんな声に答えるため、この度人形のお焚き上げを始めることになりました。

とのことです。普通、お守りは他社のものでも受けてくれるところはあるのですが、なかなか人形のお焚き上げをしていただけるところがありません。

基本はずっと手元に置いておきたいでしょうが、いろんな事情で手放すことになったときに、ゴミの日に生ゴミと一緒に捨てるのはあまりにもかわいそうだと思っておりました。

詳細は、ホームページでご確認をお願いします。

受付 午前9時より午後3時30分までに本殿右手受け付けまでお持ちください。
初穂料
30cm以下 31cm~100cm以下
1体 2000円より 1体 3000円より
10体 10,000円より 5体 10,000円より
1体増すごとに1,000円 1体増すごとに1,500円

 

御朱印

 

境内見どころ

社殿

1683年に焼失し、元禄16年には地震により損壊し、1923年(大正12年)の関東大震災でも損壊し、さらに空襲でも被害を受けるなどし、

再建や修復を繰り返した。現在の社殿は1956年(昭和31年)に造営され、鉄筋コンクリートを使用した、「重層型準八幡造り」となっている。

 

末社

七渡神社・粟島神社 – 七渡神社は七渡弁天と親しまれる地主神で、八幡宮が創祀される以前から祀られている。

 

車析社・客神社

野見宿禰神社 – 江戸勧進相撲発祥の地であることから、相撲の始祖である野見宿禰を祀っている。

住吉社

聖徳太子社

天満天神社

祖霊社・花本社 – 花本社は深川にゆかりの深い松尾芭蕉を御祭神としている。

永昌五社稲荷神社

 

鹿島神社・大鳥神社

 

恵比須社・大黒社 – 恵比須社は深川七福神の恵比須さまである。

 

富士浅間社・金刀比羅社

 

伊能忠敬の銅像

江戸時代の測量家である伊能忠敬は、寛政7年(1795年)、50歳の忠敬は江戸へ行き、深川黒江町(現在の門前仲町)に家を構えた、

測量に出かける際は、安全祈願のため富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたことから、2001年(平成13年)に境内に銅像が建立された。

手水舎

手水舎が非常に豪華です。金色の鳳凰でしょうか。素晴らしいです。

 

 

 

江戸勧進相撲((かんじんずもう:現在の大相撲の前身)発祥の神社

宮中で相撲が行われた最古の記録は、「日本書紀」垂仁天皇7年(紀元前23年)7月に

「當麻邑、有勇悍士、曰當摩蹶速。」

大和国の当麻邑(たいまのむら、現奈良県葛城市當麻)勇敢な人がいます。当麻蹴速(たいまのけはや、たぎまのけはや、タエマクエハヤ、當麻蹶速)といいます。

「强力以能毀角申鉤」

力が強くて、角を折ったり、曲がった鈎(かぎ)を伸ばすことができます、という。

怪力との誉れ高い出雲の野見宿禰が選ばれて、野見が当麻の腋骨と腰を折って殺し、その所領を下賜されたといいます。

 

勧進相撲

寺社の本堂や山門などの造営・修復に要する費用を捻出するため開催されたことに発します。

京都、大坂から始まり、江戸を中心に全国各地で行われました。

ところが、17世紀の中頃になると、たとえ目的が寺社の勧進であっても、社会の風紀を乱すなどの理由から、相撲興行が禁止されてしまいます。

それにもかかわらず、土俵という画期的な発明などもあって、相撲人気は衰えず、元禄期になると幕府も勧進相撲を認めるように転換していきました。

 

再開されたばかりの勧進相撲は、晴天8日間の興行で、深川(ふかがわ)の富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)、本所(ほんじょ)の回向院(えこういん)、

湯島(ゆしま)の天神社(てんじんしゃ)など府内各所で開催されました。

この段階では、回向院は多くの開催場所のひとつに過ぎなかったのですが、天明年間から回向院での開催が多くなり、天保4年以降、回向院が江戸における大相撲の

開催場所を独占するようになります。

江戸における大相撲人気が高まったのは、谷風(たにかぜ)、小野川(おのがわ)、雷電(らいでん)などの名力士が活躍した天明~寛政期のことでした。

勧進大相撲という言葉が生まれたのもこの頃のことと考えられています。

東京都立図書館「大相撲スペシャル」から抜粋

 

 

横綱力士碑(よこづなりきしひ)

歴代の横綱力士と強豪大関雷電爲右エ門を顕彰している。

12代横綱陣幕久五郎が発起人となって、明治33年(1900年)に完成。縦3メートル50センチ、厚さ1メートル、重さ20トンの白御影石

 

 

深川八幡祭り

 

例大祭(8月15日)で、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられています。

「わっしょい、わっしょい」の伝統的な掛け声と別名「水かけ祭り」と別称される通り、沿道の観衆から担ぎ手に清めの水が浴びせられる。

 

3年に一度の本祭りでは御鳳輦(ほうれん:鳳凰の飾りがある神輿)巡行と、町内神輿53基による神輿連合渡御が行なわれる。

2020年が本祭りの年だったが、新型コロナウイルスの影響で1年延期となっていた。

今年も延期で、次回の本祭りは2023年8月に開催予定に変更となった。

コロナが収束して通常通り催行されますことを祈るばかりです。

 

日本一の黄金神輿

2023年には、勇壮な姿が見れることを期待しています。

 

御本社一の宮神輿 御本社二の宮神輿
平成3年 製作年 平成9年
第十六代浅子周慶 作者 第十六代浅子周慶
屋根延金地塗神輿 屋根延金地塗神輿
5尺(1m51cm) 台輪幅 4尺5寸(1m36cm)
9尺5寸(2m89cm) 屋根幅 7尺5寸(2m27cm)
14尺5寸(4m39cm) 高さ 10尺8寸(3m27cm)
約 4.5トン 重量 約 2トン

鳳凰の胸  ダイヤ7カラット
鳳凰の目  ダイヤ4カラット 1対
鳳凰の鶏冠 ルビー2,010個
狛犬の目  ダイヤ3カラット 2対
隅木の目  ダイヤ1カラット 4対
小鳥の目  ダイヤ1カラット 4対
屋根     純金24kg
その他プラチナ、銀、宝石多数使用

装飾 鳳凰の目 ダイヤ2.5カラット 1対

HP記載内容を転載

 

 

アクセス

住所 : 東京都江東区富岡 1-20-3

 

電話 : 03-3642-1315

 

地図

 

 

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