JR大森駅から徒歩10分で「磐井神社」へ参拝、その後、徒歩9分で「大森神社」到着
御祭神
久久能智命(くくのちのみこと)
伊耶那岐・伊耶那美二神の神生みによって、風の神・山の神・野の神と共に生まれた木の神。
久々能智神の名義は、ククを、茎の意と取る説と、「木木」の古形と取る説とがある。
ノは助詞、チはヲロチ・イカヅチなどのチと同じとされ、精霊の意、あるいは霊力あるものの尊称などとされる。
茎の意のククは、『万葉集』の東歌に「佐野のククタチ折り生やし」(14・3406)、「伎波都久の岡のククミラ我摘めど」(14・3444)とあって、それぞれ「茎立」「茎韮」と解されている。
正倉院文書にも「茎立」の表記が見える(続修後集十・上山寺悔過所銭用帳)。茎のある植物をククといい、ここでは木のことを指すと説かれるが、木の幹を茎とは言わないという批判もある。
一方、「木木」の古形とする説は、木をクというのはクダモノ(木の物)のクに同じであると説かれるが、久々年神・久々紀若室葛根神の神名解釈との整合性から、「木木」とは解しがたいという批判もある。
『日本書紀』五段本書には「木の祖、句句廼馳(くくのち)」とあり、一書六には「木神等を句句廼馳と号す」とある。
また、類似の神として、大殿祭祝詞に「屋船久久遅命〈是は木の霊なり〉」が見える。
「屋船」は家屋全体をふね(槽、容器)に見立てた語とする説があり、家屋の神として祭られていることによる称と捉えられている。
この神は、御殿の木材の神格化とする説があるが、また、山の神を祭って伐り出した材で造った神聖な柱、忌柱(いみばしら)に宿った神で、
樹木の神ククノチを家屋の柱に移して家屋の神として祭ったものと捉える説もある。
御由緒
天正年間の創建と伝えられる。当時この辺りは海辺であり、里人達は漁業をもって生活をしていた。ある時黄金色に輝く像が岸辺に流れつき里人達は畏れて沖へ流すこと三度に及んだが元の場所に寄り来たるので社を建てて、この像を祀ったのが当社の起源といわれている。そのため、この社を寄来明神と称し、また寄来神社と称した。明治元年に神祇伯(律令官制における神祇官の長官) 白川資訓王より大森神社の社号並びに額面を賜わり、その後昭和7年10月大東京都実現の折に大森神社と公称するようになった。
手水舎はちょっと変わった造作ですね。当時はコロナ禍関係ないので、柄杓がありますが、小社ですので柄杓は1つだけです。
まだ新しい感じの御社殿。清潔な感じで気持ちよく参拝させていただくことができました。
ご利益
家屋の守護、家内安全
御朱印
御本殿右横の建物の階段を上ったところが社務所になっており、こちらで御朱印が拝受可能です。
アクセス
住所 : 〒143-0016 東京都大田区大森北6丁目32−12
電話 : 03-3761-3909
・京浜急行「平和島駅」 2分
・私は、「磐井神社」へ参拝、その後、徒歩9分で「大森神社」
地図