御由緒
(HPから抜粋)
『横濱総鎮守』つまり国際港都・横浜の守り神として、
また『関東のお伊勢さま』として広く崇敬を集めています。
当宮の創建は、横浜が日本一の貿易港として、また文明開化の先駆けの地として、
急速な発展を遂げていた明治3年(1870)です。
当時の県知事が、「国家を鎮護する天照皇大神を祀る荘厳な神殿を築く」と告諭し、
戸部の地にあった伊勢の神宮より勧請されたと伝わる古社を再興し、港を一望する丘の上へと遷座しました。
遷座に際し、五日間にわたり日本一とも称えられた盛大な祝祭が執り行われました。
その総費用は十五万両に及び、これを知った外務卿・副島種臣(そえじまたねおみ)を
「外務省の半年分の予算に匹敵する」と驚かせたと伝わります。
また、このお祭りをきっかけとして、アイスクリームが世に広まったことも知られています。
『神奈川県宗社(神奈川県の総氏神)』と定めるよう国に建白し、許され、『官幣国幣社等外別格』の社格を与えられました。
創建より僅か一年余りで、諸国の伝統ある大社と並ぶ社格となったのです。
御本殿
(HPから抜粋)
現在の本殿は数えて三代目で、平成三十年の秋に竣功。(初代は明治四年、二代目は昭和三年の竣功)
この本殿は、平成二十五年の秋まで伊勢の神宮において、内宮・皇大神宮の西宝殿として用いられていました。
「第六十二回神宮式年遷宮」(二十年ごとに行われる伊勢の神宮の御殿の造り替え)の後に当宮へ譲渡され、
令和二年の当宮創建150年の奉祝事業として、伊勢の地にあった姿のままに移築をしました。
このように伊勢神宮より重要な社殿を賜ったことは、当宮のみならず横浜にとっても大変な栄誉といえます。
当宮の御祭神である天照皇大神は、いにしえに伊勢の神宮より勧請されたと伝わります。
永い時を越え、その御神霊が再び伊勢の社殿へと鎮座されたのです。真に関東のお伊勢さまにふさわしい姿となりました。
本殿の姿は、古代の建築様式を今に伝える「神明造」です。
天高くそびえる千木(ちぎ・屋根の両端から突き出した部分)と、
六本の堅魚木(かつおぎ・円柱状の飾り)が置かれた棟木と茅葺の屋根を、
社殿の左右から棟持柱が支える構造をしています。まさに神代の神殿の再現といえるでしょう。
建て替え前の旧本殿(昭和三年竣功)は、解体修繕の後に、
東日本大震災で被災された宮城県石巻市の鹿島御児神社へ譲渡され、新たな本殿として生まれ変わっています。
御朱印
御祭神
(HPから抜粋)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
全ての生命の源である太陽をつかさどり、神々の世界・高天原(たかまのはら)を統治される女神です。
日本の国土をお作りになられた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、
筑紫国の阿波岐原の清流で身を清められた際に、その左目からご誕生されました。
天照皇大神さまは皇室のご祖先であり、日本人の総氏神とされます。
さらに明治三年旧暦十二月には、伊勢の神宮の勧請を受けた由緒によって、
明治政府から神奈川県宗社(神奈川県の総氏神)に定められました。
現在では関東のお伊勢さまとして、広く崇敬を集めています。
境内社
杵築宮(子之大神)きづきのみや(ねのおおかみ)
明治初年に、当時の横浜港の主要な輸出品であった生糸および蚕種の守護神として、豊受姫大神を祀り建立されました。
現在では、横浜大空襲により野毛町にあった社殿を焼失した、野毛・桜木町一帯の氏神である子之大神が合祀されています。
御祭神
豊受姫大神
食物や養蚕を司る女神です。生糸商たちからあつく信仰されました。
伊勢の神宮の外宮(豊受大神宮)のご祭神でもあります。
子之大神
野毛地域の氏神です。出雲大社のご祭神でもある大国主神の別名です。
商売繁盛、縁結びの福の神として信仰されています。
姥之大神
後醍醐天皇の皇子である護良親王(もりながしんのう)の乳母を祀ります。
かつて埋め立て前の桜木町駅周辺の海上にあった姥岩に鎮座していました。
安産と子育ての女神です。
大神神社(磐座)おおみわじんじゃ(いわくら)
奈良県の三輪明神大神神社の御分霊です。磐座(いわくら)と呼ばれる古代の祭祀場の姿が再現されています。
御祭神
大物主大神
医薬と治病に関わる神です。
大国主神の国造りを助け、大和の三輪山に祀られました
アクセス
神奈川県横浜市西区宮崎町64
045-241-1122
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東名高速・保土ヶ谷バイパス・横浜横須賀道路:
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