神社の基本 神話

猿田彦命|選択に迷ったときに決断を導いてくれる神

2021-06-28

『日本書紀』では猿田彦命(さるたひこのかみ)、『古事記』では猿田毘古神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神 と表記
天孫降臨の際に、天照大御神に遣わされた邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内した国津神。

古事記での表現

邇邇芸(ににぎ)に命令を下して、「この豊葦原(とよあしはらの)水穂国(みずほのくに)は、あなたが統治すべき国であると委任します。だから、命じられたとおりに天降りなさい」
と言った。
邇邇芸(ににぎ)が、天降ろうとするときに、天からの途中の別れ道において、上は高天原(たかまのはら)を照らし、下は葦原中国(あしはらなかつくに)を照らしている神がいた。
そこで、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と高木神(たかぎ)は天宇受売神(あめのうずめのかみ)に対し、
「あなたは女人であるが、向き合った神に対して、気おくれせずにらみ勝つことのできる神です。だから、あなたが行ってその神に向って、『天つ神(あまつかみ)の御子の天降りする道に、居座っているのは誰か』と尋ねなさい」と指示した。

天宇受売(あめのうずめ)が尋ねると、その神が答えた。
「私は国つ神(くにつかみ)で、名は猿田毘古神(さるたびこのかみ)と申します。私がここに出てきましたのは、天つ神の御子が天降ってお出でになる、と聞きましたので、ご先導をしようと思って、お迎えに参っている次第です」と答えたのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
邇邇芸(ににぎ)が天宇受売(あめのうずめ)に言った。
「安全に先導してくれた猿田毘古(さるたびこ)は、独りでこの神に対峙して、その正体を明らかにした、あなたがお送りしなさい。またその神の名前は、自分の名前とし、お仕えしなさい」
こうして猿女君(さるめのきみ)たちは、その猿田毘古という男神の名を取って、男も女も「猿女君」と呼ばれるようになったのです。

さて、猿田毘古が阿耶訶(あざか:現在の松阪市の一部)におられるとき、漁をしていて貝に手をはさまれて、海に沈み溺れてしまいました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天宇受売は、猿田毘古をお送りして帰って来て、ただちに大小のあらゆる魚類を集めて、
「おまえたちは、天つ神の御子にお仕えするのか」とたずねると、
多くの魚が皆、「お仕えいたします」
と言う中で、海鼠(なまこ)だけは何も申しませんでした。
そこで天宇受売が海鼠に向かって、「この口はものを答えない口」と言って、小刀でその口を切ってしまいました。
だから今でも海鼠の口は裂けているのです。

こういうわけで、代々、志摩(現在の三重県東部)から初物の魚介類を献上する時には、猿女君たちに分かち下されるのである。

 

日本書紀での表現

本文ではなく、一書(あるふみ)<第一>

「天照大神(あまてらすおおみかみ)の御子が、今降ってお出でになると聞いています。それでお迎えのためにここで待っているのです。私の名は猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)です」
そこで天鈿女(あめのうずめ)がまた尋ねて、「お前が私を先導するのか、それとも私が先導するのか」
猿田彦大神は答えた。「私が先導しよう」
天鈿女また問う。
「お前はどこへ行こうとするのか。皇孫はどこへお着きになるのか」
猿田彦大神が答えた。
「天つ神の御子は、筑紫の日向の高千穂の槵触峯(くじふるたけ)にお出でになるべきでしょう。私は伊勢の狭長田(さなだの)五十鈴(いすず)の川上に向かいます」と答え、
そして、
「私の素性を露わにしたのはあなただから、あなたが私を送って欲しい」
と言った。
天細女あめのうずめは天に帰ってこれを報告した。
すると皇孫は天磐座(あまのいわくら)発ち、天八重雲(あまのやえたなぐも)を押しわけて降り、勢いよく道を踏みわけて進み天降られた。
そして、先の約束のように、皇孫を筑紫の日向の高千穂の槵触峯に降り立てられました。

猿田彦神は、伊勢の狭長田の五十鈴の川上に着き、天鈿女命は猿田彦神の要望に従って、送って行かれました

このように日本書紀では、猿田彦が天鈿女命(あめのうずめ)に自分を送り届けるように頼んだとなっています。そして猿田毘古神は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ戻ることになりました。

猿田彦神社 御朱印帳

元々のサルタヒコとはどのようなところから出てきたのか

伊勢地方と関係の深い神靈での太陽神として海人が祀る対象だった。
古事記・日本書紀の記述からサルタヒコはもともと志摩地方に縁が深い神さまだと理解できます。ニニギ尊を先導した後、ニニギ尊に命じられた(もしくは、サルタヒコ自身が)アメノウズメに送られて伊勢国の狭長田の五十鈴川のほとりに帰り、その地にアメノウズメと結婚して住んだからです。アメノウズメはサルタヒコの名をとって猿女君を名乗り、猿女氏の遠祖となりました。

以上のようにサルタヒコは原始的な男性の太陽神として伊勢の海人が信仰していた神だったという説が有力なようですが、上記の『古事記』でも記載されていたように、サルタヒコは「上は高天原(たかまのはら)を照らし、下は葦原中国(あしはらなかつくに)を照らしている」と記されています。そこから太陽をイメージすることができます。

サルタヒコの神格
導きの神、交通の神、伊勢の地主神

サルタヒコの御利益
交通安全:天孫を導いたことから

縁結び:アメノウズメと結婚することになったことから

延命長寿、厄除け、商売繁盛、殖産興業

 

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