仕事、恋愛のパワースポットをそのまま体現し続ける不滅の強力開運スポット。
一般的には、「神田明神」と呼ばれていますが、正式名称は、「神田神社」(明治元年、1868年に改称)。
東京の中心である、神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、築地魚市場など108町会の総氏神様として江戸庶民から愛し続けてこられ、「明神さま」の名で親しまれています。
2009年のAKB48、初めて神田明神で成人式参拝やアニメ「ラブライブ」の聖地と呼ばれるスポットでもあります。
神職さんが良いことをおっしゃってましたね。今、参拝に来ている方々は江戸時代の人ではない、現代人。なので現代人に合わせた参拝の方法に変えていかなければならない、と。
こんな方におすすめ
- 聞いたことはあるけどまだ参拝経験のない関東近郊の方々。特に江戸の人
- 江戸=神田明神というイメージを持っていただいている遠方の方々
- 仕事で会社の上司に初詣に連れられて意味わからずお賽銭だけ入れてきた方
- 強力なご神威で恋愛にも効く、ということを知らなかった方
- 見どころが沢山あって1時間以上見たいところ、参拝したいところでいっぱいです。
どんな神社で、お祀りされている神様(ご祭神)はどんな方でしょうか?
天平2年(730年)に大手町将門塚付近に創建された神田明神は、元和2年(1616)、江戸城の鬼門除けとして現在の地に遷座された後、
徳川家の保護を受け、江戸の庶民にも親しまれてきました。
令和12年(2030年)に創建1300年の節目を迎える実は、かなりの古社です。
正月4日の仕事初めの日の午前の終わり頃から近所の、
あるいは、少し離れた場所のビジネスパーソンが会社の人たちと初詣に出かけ、
秋葉原近辺で夕飯を軽く食べて帰る、というのが私も社会人になってからの習慣のように継続した行事でした。
『文化の鼓動を生む 〜人と街をむすび、時の文化が響く場所へ〜』というコーポレートメッセージのような大きなビジョンを掲げています。
人が集い参拝して穢れを落として新たな目標を宣言するためには多くの人々が来てくれることが本質です。
そのために新しい時代の神社は何をすべきかを常に考えていることがよく分かります。
御祭神 一之宮
大己貴命(おおなむちのみこと)
だいこく様。縁結びの神様。天平2年(730)ご鎮座。
大国主命(おおくにぬしのみこと)という別名もあり、おなじみ島根県の出雲大社のご祭神でいらっしゃいます。国土経営・夫婦和合・縁結びの神様としてのご神徳あり。
御神殿
昭和9年に竣功。権現造。鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿。「木」ではないんです。ご存知でしたでしょうか。
木製じゃない社殿、画期的です。関東大震災で総崩れになり、災害に強い社殿をできるだけ木製に見えるように朱塗りにして作成されています。
このおかげで、東京大空襲のときには近くに焼夷弾が落ちても焼けなかったそうです。
昭和51年完成。高さ6.6メートル重さ約30トンで石造りとしては日本一のだいこく像として建立された。
茅の輪くぐりの季節には、だいこく様のまに茅の輪が設置されました。
二之宮
少彦名命(すくなひこなのみこと)
えびす様。商売繁昌の神様。
商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様です。高皇産霊神(たかみむすひのかみ)のお子神で、大海の彼方・常世(とこよ)の国より舟(豆の実のさやの舟に乗っていた)に乗って波をかき分けていらっしゃり、手のひらに乗るほどの小さな姿です。
化学の能力にも優れ、だいこく様とともに日本の国づくりをしました。
私の崇拝する神様の1柱です。
神田明神境内に新たに建立された鳳凰殿のとなりに、当社二の宮のご祭神『えびす様』のご尊像が建立されました。えびす様は正式のお名前を少彦名命(すくなひこなのみこと)と申しあげ、神話に木の実を舟にして海の彼方にある常世から来訪された小さな神様と伝えられています。また『だいこく様』と力を合わせ日本の国作りを行われ、病人に医薬の道を教え、酒造りなど豊かな知恵を人々に授けられた福の神でもあります。
今回建立されたご尊像は、海の仲間(イルカやタイやトビウオ)に守られて大海原を渡られる『えびす様』のお姿が造形されています。
東京芸術大学学長・宮田亮平教授によって、鍛金工芸の優れた技術で美しく完成いたしました。
三之宮
平将門命(たいらのまさかどのみこと)
除災厄除の神様。延慶2年(1309)にご奉祀。平将門は、武士の先駆け「兵(つわもの)」として、関東の政治改革をはかり、命をかけて民衆たちを守った方。明治7年(1874)に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、昭和59年に再びご本殿に奉祀され今日にいたっております。東京都千代田区大手町・将門塚(東京都指定文化財)には将門公の御首をお祀りしております。
御朱印や絵馬
神田明神には何度も来ています。正月は御朱印いただくような人の数ではない(そもそも出しているのかすらわからないです)
本日、2021年7月に伺いましたが、御朱印は新たには拝受しておりません。
御朱印
御朱印帳が溜まってくると置き場所に困りますが、これで整理すると御朱印帳も傷まず、スッキリ片付きます
絵馬
七つの石鳥居をくぐり、お参りできる。境内末社めぐり
籠祖神社
末広稲荷神社
金刀比羅神社 、 三宿稲荷神社
浦安稲荷
今日は、工事されてましたので昨年(2020年末)の写真を添付します
江戸神社
大伝馬町 八雲神社
小舟町 八雲神社
築地魚河岸 水神社
見るべきスポット
初詣にはゆっくりとは見れないところを機会があれば普通の土日くらいで訪れますとゆっくりと参拝、見学ができます。
表参道の鳥居
ここから隨神門まで参道が続き、お土産屋さんや軽食屋さんなどが多少あります。
みんな、秋葉原か御茶ノ水の方に出てしまうので、ちょっと休憩、という程度でしょうね。
随神門
昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念事業として新たに再建。総檜・入母屋造。松下幸之助氏奉納
装飾が非常に綺麗で見とれてしまいます。
手水舎は随神門の左側にあります。
おみくじかけ
立体ハート型でかわいいです。当日も軽いコスプレーヤーさんが撮影していました。「絵」になりますよね。
神馬(しんめ)
神田明神には生きたちゃんとした神馬がいるんですよ。
神田明神の「明」をとって、「あかり」とな付けられたポニーの女の子です。
今は夏で9月まではいないそうでした。冬場にいるときの写真を添付しておいきますね。
銭形平次の碑
野村胡堂(1882〜1963)の名作『銭形平次捕物控』の主人公、平次親分が神田明神下台所町の長屋に恋女房お静と2人で住み明神界隈を舞台に活躍していたことから、昭和45年に日本作家クラブが発起人となり碑を建立した。
平次が投げていた硬貨「寛永通宝」が台座になっていること、子ぶんの がらっぱちの小さな碑も隣にあるのがとっても 粋(イキ)です。
裏参道
この裏参道の階段を降りて、右の方に真っ直ぐいくと 地下鉄銀座線の 「末広町」駅に出ます。
以下の写真が、裏参道を道路の反対側から見たところです。正面の階段を上ると、上掲の写真のところに繋がって境内に入れます。
神田明神文化交流館
EDOCCO ( Edo Culture Complex) の略称がノレンにかかっています。1階と地下は参拝者は自由に入れます。
土産物、軽食やさんなどがはいり、この中で 御朱印も拝受可能です。
アクセス
住所 : 東京都千代田区外神田2-16-2
電話 : 03-3254-0753
地図
宿泊
神田明神だけを見れば、秋葉原や御茶ノ水が最寄りの駅で宿泊候補になります。
ただし、上野駅や東京駅も距離は近く、別な観光施設と神田明神にも参拝、というケースだと思います。
オススメのホテルは以下にまとめておりますのでご参照ください。