こんな方におすすめ
- 参拝するために最小限の御由緒や特徴を知りたい
- 英雄として名高いヤマトタケルの子仲哀(ちゅうあい)天皇、そのお妃で強く美しい神功(じんぐう)皇后の愛の強さにあやかりたい
- せっかく参拝するのだから見ておくべきパワースポットや見どころを知りたい
- 御朱印収集中だけど、こちらで拝受可能な御朱印はどんなものか、奉納される絵馬もできれば知りたい
- 博多旅行、いろいろ行きたいとこあるけど、少し足を延ばして有名だけど行ったことない神社に参拝したい
どんな神社で、お祀りされている神様はどなたでしょうか?
御祭神
主祭神
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) – 第14代天皇。
神功皇后(じんぐうこうごう) – 仲哀天皇皇后。
配祀神
応神天皇(おうじんてんのう) – 第15代天皇。仲哀天皇皇子。
住吉大神(すみよしのおおかみ)
「日本書紀」から見る香椎宮建立の経緯
巻第八「仲哀天皇紀」
仲哀天皇は、熊襲(くまそ:現在の九州南部にあった襲国(そのくに)を本拠として、ヤマト王権に抵抗したとされる人々)の反乱を鎮めるため神功皇后とともに
九州遠征に来ていた。
あるときに皇后に神が降りて「熊襲を討つことはない。これにまさる宝の国・新羅があるから。我を祀ってこれを服従させよ」との神託を受けます。
しかし、天皇はこれを疑って熊襲を攻めたため、そのさなかに突然崩御してしまいます。天皇が亡くなったのが「橿日宮(かしひのみや)」(福岡市東区)で
ここが香椎宮の場所になります。
皇后に神が降りてだされたご神託を無視して熊襲と戦ったために亡くなられてしまった仲哀天皇。九州遠征に同行されていた皇后が、天皇を慕われていた気持ちが伝わります。
巻第九「神功皇后紀」
仲哀天皇の崩御の後、神功皇后は朝鮮半島への出兵を実行に移します。「三韓征伐」と呼ばれる話です。
メモ
皇后は臨月で皇子(のちの応神天皇)を宿したまま軍船を率いて対馬を経て新羅に至りました。
新羅の王は、皇后の軍勢を見て、戦わずして降伏。三韓の残り二国(百済、高句麗)も相次いで日本の支配下に入ったとされるため「三韓」と呼ばれている。ただ、直接戦ったのは
新羅だけだったという説もあるので、「三韓」を「征伐」したのが正しいかは諸説ある。
「廟」から「宮」へ
新羅を平定した皇后が仲哀天皇の霊を鎮めるために廟(特定な人物を祀る建物を、霊廟(れいびょう))を建てたのが香椎宮の始まりです。
後に皇后廟も建てられ、この2廟が合わせて「香椎廟」と呼ばれていました。明治以来には官幣大社香椎宮、戦後は香椎宮と称されることになりました。
かなうお願い(ご利益)は何?
2つの「廟」が1つの「宮」になったことで、仲哀天皇、神功皇后のお2人の愛がつながって1つになったと受け留めています。
広く大きなお心で、国家安寧がご神徳の中心です。
一方で、私達に馴染み深い愛情を結びつける強いご意思が香椎宮設立の背景からご縁結びのご利益へとつながります。
また、半島出兵の際の神功皇后のご活躍ととともにお子様の八幡さまである応神天皇は勝負・武運のご利益もいただけます。
人生儀礼、お忘れではありませんでしょうか? 前・本・後厄年などです。
見落としてはいけない必須の「パワースポット」と「映えスポット」
不老水
一旦神社の境内を出て一般の道を少し歩くと到着です。
途中に案内板がいくつかでているので間違えないと思います。仲哀天皇・神功皇后の家臣長寿で有名な、武内宿禰(たけうちすくね)が掘った?とも伝わる井戸です。
お社の扉を開け、蓋が乗せてありますのでそれを開けると透明の綺麗な水が見えてきます。
300年生きる不老長寿の水、いただきました!
香椎宮起源の地古宮
仲哀天皇が国家鎮護の拠点とした橿日宮(かしひのみや)の跡地です。地名の起源になった御神木「香椎」は今もここに残っています。
この椎の木は、「棺掛椎」(かんかけのしい)と呼ばれており、仲哀天皇が崩御された際に、皇后が天皇の棺桶を椎の木にたてかけたところ、
香ばしい香りがただよってきた、ということが「香椎」の由来です。
「綾杉」(あやすぎ)ー御神木ー
樹齢1800年を超える古木で、大切に扱われている様子がよく分かります。
杉の葉が、交互に生えている様子を「綾」にたとえて、このように呼ばれているそうです。
辨財天社(べんざいてんしゃ)
辨財天社では、市杵嶋姫命が祀られています。金運・開運・芸能上達の御神徳があります。
バスで最初に降りて目に入ってくるのがこの辨財天社さんになります。
武内神社
仲哀天皇・神功皇后に仕えた武内宿禰命(おおおみたけうちすくねのみこと)をお祀りし、健康長寿・病気平癒・知恵向上・学業成就の御神徳があるとされます。
いただける御朱印は?お願いを神様に届ける絵馬も紹介
御朱印は冒頭の写真の通りです。黄色地の紙に書かれており、目を引く、きれいな御朱印です。
御神木 綾杉の絵馬
神功皇后が三韓より帰還され剣・鉾・杖の三種の宝を埋め、そこに鎧の袖に挿していた杉枝を「永遠に本朝を鎮護すべし」と祈りを込め埋められたものだそうです。
葉が綾の様に交互に生えているので綾杉といわれ、国家鎮護の象徴として古来よりその杉葉を宮中に献上しています。
結構重要なトイレは?
鳥居を越えたところにある休憩所が3−40人座れるようなスペースになっています。
キレイに清掃もそれていることと、割と広いトイレが一箇所ありました。通常の日であればこの数で問題ないと思いました。
十分に使えます。ご安心を。
場所や公共交通機関でのアクセス・行き方・注意点をご紹介
雨模様の天候、当初は早朝から宗像大社に行く予定でしたが天候のため、近場に変更。
行きは、博多からバスで行きました。絶対にこの方が楽ですね。バス停が香椎宮の目の前になります。この経路が一番です。
帰りは、筥崎宮に寄る予定でしたので、JR香椎宮前駅まで徒歩12分で歩きましたが、結構たいへんでした。とても大神社さんの参道でJRの最寄り駅とは思えないような
道の狭さと距離の遠さ。雨だったこともあってオススメしないルートです。
香椎宮には、13時過ぎに到着してJRの駅に着いたのが、14時30分でした。次の目的地は筥崎宮です
実際に宿泊したことがあるオススメのホテルは。。。。
まとめ
博多から30分でこれほど静かで心が休まる場所があるとは知りませんでした。
境内もかなり広い方ですし、休憩所もしっかり整備されています。博多でランチを食べたかったので移動が遅くなってしまいましたが、2時間弱あると十分に堪能できます。
とても神聖な空気に包まれた素晴らしいお社だと感じました。