パワースポットと神社の清々しさ(すがすがしさ)
「神田明神のパワースポットはどこですか?」と質問が多いそうです。
「御本殿です」とご回答されているそうです。
ご利益のある神社=パワースポット
とされているようですが、実際に耳にする参拝者の言葉は、
「イライラしていた気持ちがすうーっと収まった」「気分がリフレッシュした」「癒やされる」といったものです。
そのような気持ちを沸き立たせ、思い起こさせる場所が パワースポット と呼ぶならば、神社がそうなのかもしれません。
「神社のおしえ」神田明神編著より
私の考えているパワースポット
私自身は、これらの気持ちがより強く感じられる場所を パワースポット と呼んでいます。
わたしの住む街は、計画的に電線が地下に埋められています。周辺の低い土地からすると20m以上は高台にあります。行きは下り坂で楽ですが、帰りは上り坂になっているのでかなりきついです。
つまり、家の周辺ま戻ると我が家についた安堵感もあるのでしょうが、この環境なので空が高く広いです。全面そらです。昼間の青空も夜の月の輝きも周囲を邪魔するものがありません。
「イライラしていた気持ちがすうーっと収まった」「気分がリフレッシュした」「癒やされる」場所なのです。
よって、私はこの感覚は必要ですが、もっと強く長く感じられる場所を パワースポット と呼んでいます。
神社はもちろん最大のパワースポットです。お寺さんや、池、山、森などもそうです。おかるとチックに パワースポット と呼んでいるのではないんです。
意味合いはもっと軽い感じになるのでしょう。
神社の清々しさ
神社に来られて清々しいと感じるのは、上記とおなじように「空がきちんとみえますね」とおあっしゃる言葉の指しているように、
手つかずの空のチカラがあるのかもしれません。
また神社は、「鎮守の森」と呼ばれる森林で囲われています。
神田明神の境内には大きなイチョウの木があります。
イチョウは水を蓄える性質があって、防火樹ともされています。
昔は海が見えたものですから、御神木のイチョウが灯台代わりになったという話も伝わります。
神社の境内は「神域」(しんいき)と呼ばれ、神様がいらっしゃる領域です。長い歴史の中で、神社は聖なる場所であり続けてきました。
それは日本人の生活の中にしっかりと根付き、多くの人々の信仰にささえられてきたからこそ、皆様の神様を畏れ(おそれ)敬う(うやまう)気持ち、
そして祈りの心が、神社を清々しいものにしているのです。
「神社のおしえ」神田明神編著より
自宅周辺で「清々しさ」を求めるのはわたしには難しいです。歴史とその歴史の積み重ねの中で多くの人の信仰の気持ちが集まってきている場所だから、という理由です。