とある日の午後のひと時、入谷神社仏閣散策で巡った3ヶ所目の場所は、落ちないお守り(不落(おちない)守)が拝受でき、こちらも千束稲荷神社同様に、樋口一葉「たけくらべ」とはゆかりのある 三島神社さんです。
御祭神
- 主祭神
- 大山祇命(おおやまつみのかみ):天照大御神(あまてらすおおみかみ)の兄にあたる神様で日本総鎮守の神様
- 相殿神
- 和足彦神
- 身島姫神
- 上津姫命(雷神)<磐長姫命(いわながひめ)と言われています:長寿の守護神>
- 下津姫命(龍神)<木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)と言われています:火の神や安産の神>
詳しくは、三島神社さんのホームページの「ご祭神とご縁起」をご参照ください。
概要
弘安4年(1281年)、河野通有(こうのみちあり)は元寇に際し、氏神である三島大明神(大山祇神社)に戦勝を祈願して出陣し、三島大明神の神使である白鷺の導きにより華々しい武勲を挙げたが、その帰陣にあたり、夢の中で武蔵国豊島郡に三島大明神を勧請せよというお告げを受け、上野山内の河野氏の館に奉斎したのが始まりと伝えられる。 1650年(慶安3年)、幕府により立ち退きが命じられ、代替地の金杉村(現・台東区根岸)に移転した。1710年(宝永7年)、幕府により再度立ち退きが命じられ、浅草小揚町(現・台東区寿)に移転した。しかし移転の結果、金杉村の氏子は神社から取り残されることになった。そのため、改めて分霊を勧請することになった。そうして根岸には元三島神社が、下谷には三島神社がそれぞれ創建された。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
詳しくは、三島神社さんのホームページの「三島神社御鎮座の起源」をご参照ください。をご参照ください。
大規模な神社さんではありませんが、私の知る限りでは、早くからホームページやインスタグラムに取り組まれており、記事内容も充実されていらっしゃいます。
この近辺には、本社三島神社、元三島神社、三島神社の3社さんが鎮座されていることになります。勉強不足でしたので、この近辺には何度も足を運んでいますが、本社三島神社さんには参拝したことがありません。ぜひ機会あれば寄らせていただきたいと思っています。
三島神社の御由緒書きには、以下のように記載されています。「当神社は、凡六百七十年前弘安の役勇将河野通有の発願により其の一族が伊豫國越智郡に鎮座する日本総鎮守 大山積命を武蔵國豊島郡に勧請して金杉村上野山内の自邸に奉斎し此の地方一帯の守護神と定め社殿を建立したのに始まると謂う その後歳月を経てこの地方が段々と開けて土地の人々も此の神の御神徳を尊び現に氏神産土神として崇敬し彌(いよいよ)高き霊験を拝しております 昭和廿九年六月 社務所」
御朱印
三島神社
三島神社さんでは、通常御朱印の他に、磐長姫命御朱印、雷井戸月替わり御朱印、季節限定御朱印、オリジナルの御朱印帳も用意されています。
最新お御朱印情報など詳しくは、三島神社さんのホームページの「御朱印・御朱印帳」をご参照ください。をご参照ください。
磐長姫命御朱印、雷井戸月替わり御朱印のサンプルです
例大祭(れいたいさい)6月15日に近い土曜、日曜 土曜午前11時です。年によって日にちが変わってきますのでホームページをご確認の上、お出かけください。
火除稲荷社(三島神社の地主神)
通常御朱印の他に、3月6日には火除稲荷祭(ひよけいなりさい)があります。火除稲荷祭限定の御朱印は、3月6日のみ拝受可能です。
社務所など
社務所には、その日に拝受可能な御朱印情報が黒板にきれいに手書きされていたり、掲示されていてとても分かり易く親切な神社さんであり、御朱印に力を入れられている感じがしました。
小さな境内ですので社務所はすぐに分かります。御本殿に向かって右側にあります。
ちょっと古くなっていますが、「東京御朱印めぐり 開運さんぽ」という ぴあMOOKに掲載されたそうです。
見どころ
鳥居・手水舎
正面から見た三島神社の鳥居と小さく見えていますが、境内から見た鳥居です。
シンプルな手水舎です。竜の口から水が出るようになっています。
雷井戸
「三島神社の雷井戸」書きには、以下のように記載されています。「昔 武蔵野の原野は雷が多く 里人は常におそれていた。時たまたま神社の境内に雷が落ちたので神主が雷をこの井戸にとじ込めた処 雷は「井戸から出して呉れ」と哀願するので「二度と此地に落ちない」と約束のもとに許してやったと云う 爾来此地には雷が落ちないと伝えられている。この井戸の発掘年代は不詳なるも相当な古井戸で危険防止の為に蓋をしてあるが現在も満満と水をたたえて雷除の井戸として信仰されている」
御本殿・狛犬
小ぶりな造りながらもスマートな印象と凜とした荘厳な印象を受ける外観です。
左側(狛犬と呼ぶ)は、凛々しく口を閉じていらっしゃいます。右側の「獅子」は強さと共に微笑みのような口を大きく開けた姿に見えました。 阿吽の「阿形」
献木 楠の由来
「三島神社の献木 楠の由来」には、以下のように記載されています。「当神社の御本社伊予国大三島に鎮座する大山祇神社は楠群の原生林にあり境内には樹令二千五百年の大楠が繁り御神木であります茲(ここ)に常緑樹楠を現地より移植し氏子各位の彌栄(いやさか:ますます栄えること)をお祈り致します」
福島県三春町の三春滝桜苗木
平成10年4月19日 「下谷クラブ」からの奉納となっています。
三春滝桜(みはるたきざくら)は、福島県にある日本五大桜または三大巨桜の1つとして知られる。2012年時点で推定樹齢1000年超、樹高12m、根回り11m、幹周り9.5m、枝張り東西22m・南北18m。日本各地で滝桜の子孫樹が植樹されていて、福島県の三春町では接ぎ木などの方法も含めて農家が滝桜の生産を行っている。
これから先、何十年、何百年と神社は存続す流のでしょうから、名木と言われるように成長することでしょう。
絵馬、おみくじ、お守り
雷との関係を現す、力強い絵馬です。
招き猫みくじ、三角みくじ、華の筒みくじなど、おみくじお賽銭箱に入れる仕組みにしてあります。釣りみくじは、子供用のプールにおみくじを浮かべただけのもので簡素ながら女性宮司さんのお考えなのでしょうか、微笑ましい光景です。
不落(おちない)守
三島神社の雷井戸伝説に由来したお守になります。
売上が落ちない、業績が落ちない、試験に落ちない、運気が落ちない、人気が落ちない、雷が落ちない、舞台から落ちない、山から落ちない、高い所から落ちない、選挙で落ちない等のご利益があると言われているそうです。
樋口一葉との関係
「たけくらべ」の一節に次のような記述がある。
「三島さまの角を曲がりてよりこれぞと見ゆる家もなく・・・・」三島神社の隣の道路が土手と小川があった時の様子
火除稲荷社
御祭神
保食命(うけもちのみこと):火難除け、商売繁盛、家内安全、防災、安全の神様
詳しくは、三島神社さんのホームページの「火除稲荷社」をご参照ください。をご参照ください。
火除稲荷社の鳥居、御本殿です。
社務所の方から、火除稲荷社を見たものです。全体の造りがコンパクトになっているのでこんな感じに見えます。
御由緒
三島神社の三島神社の地主神「火除稲荷社 御由緒」には、以下のように記載されています。「往昔奥州街道に沿う町並みとして発達せる武蔵国豊島郡金杉村のこの地に御先稲荷を勧請したるあり後 正保三年東叡山寛永寺の建立に当たり この地をその火除地と定められて以来 火除稲荷と称し奉り三島神社の地主神(:その土地の守護神、注は筆者追記)であります。 家内安全、商売繁盛、火災守護の大神として町人から崇敬されています。」
境内の紹介と御朱印(Youtube)
1分ちょっとの短い動画ですので、ぜひご覧ください。
アクセス
東京都台東区下谷3丁目7番5号
- 東京メトロ日比谷線「入谷駅」4番出口より徒歩8分
- JR山手線・京浜東北線「鶯谷駅」南口より徒歩15分
- 都営バス【08系統】「下谷三丁目」徒歩30秒
- 台東区循環バス 北めぐりん「⑱下谷三丁目」徒歩30秒
- 台東区循環バス ぐるーりめぐりん「④下谷三丁目」徒歩30秒
当日の散策経路
飛不動さんから当 千束稲荷神社への移動しました。三島神社に着きました。
小野照崎神社、日蓮宗 日照山 法昌寺(下谷七福神 毘沙門天)に向かいました。法昌寺さんは御朱印をいただけるような雰囲気ではなく、中で参拝だけしてきました。
散策経路全体像の詳細は、別途まとめて記事にします。
周辺へのアクセスが良いエリアの宿泊施設(上野)
東京下谷は、上野からのアクセスも良いので、他の観光も合わせて考えると、上野周辺のホテルがオススメです。