こんな方におすすめ
- おみくじってそもそもどういうものなのかを知りたい
- 水占い(水くじ)はどのような仕組みのものかを知りたい
- どうして貴船神社の水占いは当たると評判なのかを知りたい
神社と「水」(池・川・海・雨など)とは関連が多く、「水」にまつわる神事も毎年のように開催されています。
おみくじ、うらないも同様に神社とは深い関係があります。
その両方が合わせられた、水に占い用紙を浮かべると、大吉、中吉などの占い結果の文字がうかびあがってくる、いわゆる「水占い」「水おみくじ」について、
「当たる!!」と評判になっている貴船神社の水占いがどのようなものか、何故当たるのか、現地で試してみて感じてきました。
おみくじとは?
誰もが必ず1度や2度、神社でおみくじを引いていますよね。
都市伝説的に、凶が出たらそれは一番良い年になる、ということを意味している、凶のおみくじは必ず神社のみくじ掛けに結んでこなければならない、等々。
おみくじは、神様のわたしたちへのメッセージ、伝えておきたいこと、と理解することが大事ですね。
凶が出たからもう今年は何も良いことがない、とか大吉だから何をやっても良い方向に向かうんだ、など、勝手な判断をするのではなく、そこにいったい何が書かれているのかをしっかりよ読むことから始めたいですね。
アタリ、ハズレというものではなく、どのように過ごせばよいかのアドバイスが書かれている、この人にはこんなことを言っておいてあげた方が良い、というようなメッセージが書かれているものです。
何度も引くのはダメです。
持ち帰っても、神社のおみくじ掛けに結んでおくのでも、どちらでも構わないものです。ただし、所定の場所じゃないような例えば境内の木の枝に結びつけるなどはNGです。
「おみくじ」は単に吉凶判断を目的として引くのではなく、その内容を今後の生活指針としていくことが何より大切なことといえます。
水みくじとは?
水を用いて占いを行うこと、という意味になりますね。川に葉っぱを浮かべてその流れる方向だとか、沈むか沈まないかなどの状態吉凶を判断する、神様のメッセージを読み解く、ということになると思います。
今の神社ではそんなことはやっていませんで、ほぼ間違いなく、最初は白紙に見える紙を川、桶、池などの「水」に浮かべ(濡らし)てあげると、文字が浮かんでくる仕組みになっています。
普通の紙のおみくじとは根本的な意味合いは何ら変わらないですが、「水」に浮かべる(濡らす)という行為と徐々に神様からのメッセージが浮かび上がってくるというイベント感がこれまでの普通の紙のおみくじとは違うものということが理解できます。
これまでの紙のおみくじとの違いは、この「水」を使うところであり、その「水」がどのような意味を持つものか、あるいは、浮かべる場所が何らかの意味を持つものか、によってそのイベントの神性、権威性が異なってくるのです。
貴船神社とは?
本題に行く前に、そもそも貴船神社とは、どんな場所なのか、という理解が必要になります。
神武天皇の母親で叔母の玉依姫命(たまよりひめのみこと)が黄色い船に乗って大阪湾から淀川・鴨川を上り、現在の奥宮の地に水神を祀ったのが創建と言われています。
京都・大阪の生活を支えている源がココにあるんです。「水」が単なる湧き水でもなく、普通に流れる川の水でも池の水でもありません。神聖な水であることがこの水占いイベントを大いに盛り上げてくれる重要な要素であり、「当たる」という気にさせてくれるシチュエーションを作ってくれているんです。
因みに。。。貴船神社の全般的な説明はコチラをごらんください。
貴船山から枯れることなく湧き出す聖なる御神水
貴船神社の「気生根略記」に以下の「水六訓」があります。
一、水は尊し
二、水は美し
三、水は清し
四、水は強し
五、水は恐し
六、水は深し
水のことを十分に知っていること。尊敬の念にあふれていること。
その上で、この御神水がでているスグ近くの水に浮かべることが最大の開運スポットです。
最大のイベントの立役者です。
水占いの方法
最近は、神社さんでは接触を最小限にするためにも、おみくじ関連は基本ほとんどセルフ方式です。
こちらもそうです。台に乗せられた占い用紙を取り出し、御神水が流れていく先の水がたまった場所に、占い用紙を浮かべます。
日本語含めて5ヶ国語対応になっていますので海外からのお客様にも楽しんでいただける配慮が素晴らしいです。
一連のおみくじ連鎖システムになっているところが素晴らしい。次のような一連のステップになっていて、この3ステップを完了するととても気持ちがスッキリし、実現に向けて一歩前に踏み出せた気持ちが沸き上がってきます。
評判は?
まとめ
あまりおみくじ系はやらないのですが、この最高のシチュエーションの水占いはやらなければ後悔すると思ってやってみました。
結果は、よくはなかったのですが、それはその結果として受け留めて注意しながら生活したいと感じました。