四魂とは <和魂(にぎみたま)荒魂(あらみたま)幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)>
神道における神格観もしくは霊魂観に基づく信仰の表現のことで、4つを合わせて「四魂」とも呼ぶ
和魂(にぎみたま)は、神霊の穏和、親愛、調和に関しての豊かなはたらきを称した神格
一般には神霊の主たる性格とされている
一方、荒魂(あらみたま)は、建設的、進取的な勇猛、創設の面に対する神性(はたらき)を称した
また、神霊のとくに幸福、開拓の力を発揮する面を幸魂(さきみたま)
奇異奇妙なる面を奇魂(くしみたま)と称している。
幸魂・奇魂は和魂の両面とも考えられ、あるいは、和魂・荒魂双方の両面であると解する説もある
本居宣長、鈴木篤胤(あつたね)など神道家によって、神学の思想、修練に刺激を与え、種々の秘伝口伝を形成した。
本居宣長が「古事記伝」巻三十の仲哀天皇の段で詳細に述べている。
「神の御霊(みたま)をこの2つに対言(むかえいう)は、ただ其徳用(はたらき)を云(いう)名にこそあれ、全体(すべて)の御霊(みたま)は御霊にして、必ずしも此の二つに分かれたる外、無きには非ず」
記紀の用例から例示してみる
各魂の名称は記紀などによるもので、『日本書紀』の「神功皇后摂政前紀」には新羅征討の際に神功皇后に「和魂は王身(みついで)に服(したが)ひて寿命(みいのち)を守らむ。荒魂は先鋒(さき)として師船(みいくさのふね)を導かむ」という神託があったとある。
また、神代には、大国主命のもとに「吾(あ)は是汝(これいまし)が幸魂奇魂なり」という神が現れ、三輪山に祀られたとある。
『古事記』では、神宮皇后が、「墨江大神(すみのえのおおかみ)の荒御魂」を国守神(くにもりのかみ)として新羅に祀ったとある。
だが、それらの記述には、神には四魂があるとはどこにも書いていない。ゆえに、それらは別個に活動することがあるとまではいえるが、四魂があるとは言えない。