とある日の午後のひと時、下谷の神社仏閣散策で巡った6ヶ所目の場所は、JR鶯谷駅北口すぐの元三島神社(読みは、もとみしまじんじゃ)さんになります。何度か参拝していますが、毎回JRから直接元三島神社に行くことはなく、今回のようにもっと北の方から何下する形でたどり着く感じのコースを辿っています。東京・下谷の開運スポットをご一緒に巡ってみましょう。
当記事では、3月半ばの河津桜が見事にが咲く頃の元三島神社と初夏の頃の様子を合わせてご紹介しております。
御祭神
主祭神
大山祇命(おおやまつみのかみ):天照大御神(あまてらすおおみかみ)の兄にあたる神様で日本総鎮守の神様
伊佐那岐命 (いざなぎのみこと):天照大御神(あまてらすおおみかみ)や素戔男尊(すさのおのみこと)等多くの神の父神であり、神武天皇(日本の初代天皇)の7代先祖
相殿神
和足彦神
身島姫神
上津姫命(雷神)<磐長姫命(いわながひめ)と言われています:長寿の守護神>
下津姫命(龍神)<木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)と言われています:火の神や安産の神>
概要
弘安4年(1281年)、河野通有(こうのみちあり)は元寇に際し、氏神である三島大明神(大山祇神社)に戦勝を祈願して出陣し、三島大明神の神使である白鷺の導きにより華々しい武勲を挙げたが、その帰陣にあたり、夢の中で武蔵国豊島郡に三島大明神を勧請せよというお告げを受け、上野山内の河野氏の館に奉斎したのが始まりと伝えられる。 1650年(慶安3年)、幕府により立ち退きが命じられ、代替地の金杉村(現・台東区根岸)に移転した。1710年(宝永7年)、幕府により再度立ち退きが命じられ、浅草小揚町(現・台東区寿)に移転した。しかし移転の結果、金杉村の氏子は神社から取り残されることになった。そのため、改めて分霊を勧請することになった。そうして根岸には元三島神社が、下谷には三島神社がそれぞれ創建された。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
何度か参拝している、三島神社さんとは同じように奉斎された神社で、幕府により立ち退きが命じられたことで残された氏子が再度分霊を勧請しているため、御由緒は「三島神社」さんと同様です。
元三島神社の御縁起によりますと、旧社殿は明治四年の再建であるが、昭和二十年、戦火で焼失消失以降、昭和二十二年造営するも老朽著しく、よって昭和五十一年四月新たに造営落成したものである。
こんなところから入っていくのか???と思えるようなちょっと怪しげな雰囲気の細道を入っていきます。社標とレンガ色の建物の間の道です。
いわゆるラブホテル通りです。初めて行かれる方はちょっとためらうと思いますが、お参りなので気にせず進んでください。
東京都神社庁の元三島神社は「島」表記になっていますが、社標では「嶋」で記載されていました。
御朱印
重陽の節句の特別御朱印(2022年7月参拝時点で社務所に掲示されていたサンプルです)
9月9日は「重陽の節句」と呼ばれますが、菊を用いて不老長寿を願うことから「菊の節句」とも呼ばれます。元三島神社では、「菊の節句」と呼んでいることがわかります。
2022年7月に参拝した際には、御朱印を拝受しましたが、「書き置き」でしたのでどこかの御朱印帳に挟み込んだのか、見当たらなくなってしまいました。
参拝して、御朱印を拝受して御朱印帳に書き入れいただける場合には心配入りませんが、書き置きの場合には帰宅後すぐに御朱印帳に貼り付けないと整理が追いつかなくなります。
皆様はどのように管理されていますか?
宮司さんの奥様だと思われる初老の女性が日付を書き入れてくださいました。当日はかなり照り返しの強い暑い日でしたので、お参りに対してのお礼のお言葉と、体調に気を付けるようにとの気遣いをしてくださり、とても感じよく御対応いただきました。
↓のようなものを検討中です。
「端午の節句」の社務所に掲示されていた特別御朱印の案内です。限定の特別御朱印のイメージをご覧いただくために掲載しました。
御朱印拝受時間、手順、初穂料
御朱印の時間 : 2021年時点では、午前9時から午後4時半まで、となっていました。
2022年も同様だったと思いますが、あまりギリギリに飛び込まなくて良いように午後4時まで位までには拝受されるのがよろしいかと思います。
手順ということでもないのですが、基本的には社務所にはどなたもいrっしゃいません。奥にいらっしゃいますので、「御用の方は玄関のインターフォンを押してください」と書かれています。
ちょっと勇気入りますし、お留守のこともありますが、インターフォンを押してみてください。
初穂料:500円
見どころ
所要時間
広くはない境内ですので、所要時間は、20分もあれば十分ですが、御朱印を拝受する時間も入れると30分という感じでしょうか。
拝殿までは、少し急な階段を上っていく必要が ありますので、夏場ですとそれまでにも歩いていれば尚更大変に感じます。
河津桜、桜と鳥居・狛犬、そして青い空
3月の初め頃から河津桜が咲き始めます。参道両脇など綺麗な姿で楽しませてくれます。夏場になるとそれが新緑に変わり、清々しい風を運んでくれます。
真っ青な晴天の中にピンクの可愛い桜が鳥居と一体になって浮かび上がる様子は美しいなぁ、と感じさせてくれます。
狛犬、鳥居に桜がかかって迫力と、優しさを感じますし、鳥居の神聖な雰囲気が空気に緊張感を与えてくれます。
ちょっと角度を変えてみて、鳥居の高さから、また、上から少し見下ろすような感じで眺めてみますとまだ青い葉っぱがちらほらと見えていて少し時期が早いのか、もう遅いのか一面が桜という感じではありません。しかし、ピンクとグリーンのコントラストは鮮やかで新鮮です。
拝殿を背景にした白い桜の花びらが背景の拝殿の感じと対比されて際立って綺麗に感じました。
手水舎、夏の狛犬
神社の境内に入り、手水舎で手を洗うと少しヒンヤリして気持ちいいものですよね。生い茂る夏の葉に狛犬さんは、すっかり隠れて夏の日差しを避けているように見えました。
悪者を境内に入らせないようにしっかりと見張ってくれている狛犬さんが勇猛で心強い
正岡子規ゆかりの地。句碑があります(東京都神社庁)
境内に入ってすぐ左側に立っています。
『歌よみに与ふる書』(うたよみに あたうる しょ)が代表作として、国語や日本文学史などでは基礎中の基礎の有名人、正岡子規。
明治25年(1892年)10月:東京帝国大学を退学
明治27年(1894年) 2月:上根岸82番地に転居。現在の「子規庵」の場所。
明治35年(1902年) 9月19日:子規、死去
元三島神社からはとても近いところに居住していました。碑に刻まれているのは、明治30年(1897年)の句で「木槿咲て繪師の家問ふ三嶋前」(むくげさいて えしのいえとう みしままえ)です。花期は夏から秋(7 – 10月)ですので、この頃に、「繪師の家」を訪ねたものと思われる。
浅井 忠(あさい ちゅう、1856年7月22日(安政3年6月21日) – 1907年(明治40年)12月16日)は、明治期の洋画家、教育者ですが、正岡子規にも西洋画を教えていた仲でした。
明治33年(1900)1月16日、万国博覧会視察と留学のためパリへ行く画家浅井忠の送別会が子規庵で開かれました。(出典:「台東区ゆかりの巨匠たち 正岡子規」 より)
元三島神社は、大山祇神社のご分霊を祀っています。大山祇神社は、ご存じの方も多数いらっしゃると思いますが、愛媛県今治市大三島町宮浦にある神社。式内社(名神大社)、伊予国一宮です。
余談ですが、私自身も全国の一の宮をライフワークとして回っています。やはり、時間となんと言っても旅費を使える方(もしくは、組織的に分担して巡るとか車で全国縦断するようなこと)じゃないと簡単には満願することはできません。よって、これからの人生をのんびりと費やして順番に巡るつもりです。これも整理が間に合っていませんが、一部当ブログ内でも現地レポートをしております。
戻しますと、正岡子規も生まれは、伊予の国なんですよね。何らかのつながりがあるのだろうと不思議なパワーを感じます。
正岡子規記念球場
上野公園に「正岡子規記念球場」という野球場があることをご存知でしょうか?
現代野球の日本語で使われている野球用語をいくつも翻訳しているのが正岡子規。こんな一面もあったのですね。
(まさおか しき(まさおか つねのり)、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 – 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。
俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治を代表する文学者の一人である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上野公園に正岡子規の愛称がついた野球場があるのをご存知でしょうか。正岡子規は上野公園博物館横で野球をやったという文書を残していたり、野球好きでした。「打者」「走者」「直球」などの用語も正岡子規が翻訳したことばです。
正岡子規本人のことだけでなく、野球の歴史なども研究対象のきっかけになる球場だと思います。
境内の見どころ。本殿に向かう
境内に入り、左手の手水舎を過ぎて真正面に見えるのは、少し長い階段です。
御御足の悪い方は、上まで上れませんので、お賽銭箱が階段の下に置かれています。(写真では小さいですが、階段の一番下の前にある箱です。)
この階段を上まで行くと拝殿、ご本殿に着きます。
階段の中ほどの場所です。
階段の一番上から見下ろした物です階段の一番下の箱がお賽銭箱。上まで登れない方用のお賽銭箱です
ご飯殿、昭和五十一年四月に造営された物ですので、新しく見えます。百年単位の築年数の御社殿を見ていると、昭和の造営だと本当に新しく、綺麗に見えますね。
力強い、狛犬さんです。魅力ありますね。
アクセス
東京都台東区根岸1-7-11
JR山手線・京浜東北線「鴬谷駅」 徒歩1分
元三島神社さん参拝だけで行くのは勿体無いので、周辺の開運スポットも併せて巡るのがオススメです。
当日の散策経路
飛不動さんから当 千束稲荷神社への移動しました。三島神社、元三島神社に着きました。
小野照崎神社、日蓮宗 日照山 法昌寺(下谷七福神 毘沙門天)に向かいました。法昌寺さんは御朱印をいただけるような雰囲気ではなく、中で参拝だけしてきました。
散策経路全体像の詳細は、別途まとめて記事にします。
周辺へのアクセスが良いエリアの宿泊施設(上野)
東京下谷は、上野からのアクセスも良いので、他の観光も合わせて考えると、上野周辺のホテルがオススメです。